うちのとらまる

2002年、近所で生まれた野良の子「とら」と「まる」。飼い始めてその可愛さに魅了され撮影を始めました。今ではうちの猫「とらまる」だけでなく、過酷な条件で生きている外猫たちに少しでも力に成れればと思い、自分の活動を始めております。ご質問などございましたら otacats2@yahoo.co.jp こちらにお願いいたします。 2011年に起きた東日本大震災により、事故があった福島第一原発20キロ圏内の取り残された猫たちのために、現在も給餌活動を続けています。

カテゴリ: 福島

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2018年9月



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右のさわは福島の富岡町

左の郁は世田谷で保護

年齢も保護時期もほぼ同じだったので




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ふたりは仲良しです


現在も仲は良いのですが

ここまでくっついているところは見ていません




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この頃 うちの猫は6匹

それぞれに時間をかけてあげれていたのが

良かったのでしょうね



もう一度仲良くなりたいなあ

現在ふたりは8歳

まだまだ時間はあります

頑張るぞ! オー!




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今日はカミさんのタントのタイヤ交換をしました

もう雪はないでしょうねー

でもまだ私の車はまだスタッドレス

腰が悪いので なかなかヤル気が起きません



エルとハナコ                                                                     忘れられない猫たちです栃木の牛舎で保護したエルうちの近所で保護されたハナコ月齢や保護時期がだいたい同じだ ... 続きを読む
エルとハナコ
                       
                       
                       
忘れられない猫たちです




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栃木の牛舎で保護したエル



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うちの近所で保護されたハナコ



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月齢や保護時期がだいたい同じだったので

とても仲良しになりました




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このふたりはやさしいねこ ぽーに可愛がられ

しばらくうちに居ましたが

やがて里親さんが見つかり旅立っていきましたよ


2013年のことでした




ああ                                                                    あの頃に戻りたいさわは膝の上で寛いでくれたし郁は足元で寛いでくれていました今じゃふたりとも目を合わせるとシャーです ... 続きを読む
ああ
                      
                       
                       
あの頃に戻りたい



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さわは膝の上で寛いでくれたし



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郁は足元で寛いでくれていました


今じゃふたりとも

目を合わせるとシャーですよ

さみしゅうございます





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本日よりまた3日間断食に入りました

もずくが腹に染みるぜ

そして空腹のまま

今日は「Flow」って映画見て来ました


UX1000_
台詞も何もない85分でしたが

それでも展開が早く飽きさせません

人が誰もいなくなった水に覆われた地球を

猫 カピバラ ワオキツネザル 犬 ヘビクイワシ

たちが 力を合わせて生きていきます

淡々と進んでいくストーリー

でも

何もないところでも涙がこぼれてしまいました

良い映画でしたよ




写真展は4月末に延期になってしまい                                                                    ちょっと残念でしたが気を取り直してそれまでブログで写真をアップして気分を盛り上げてい ... 続きを読む
写真展は4月末に延期になってしまい
                      
                       
                       
ちょっと残念でしたが

気を取り直して

それまでブログで写真をアップして

気分を盛り上げていきたいと思います





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ふたりで仲良くごはんタイム


おや

しろ その手は何よ




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あー 独り占めするのか

さびはどうする



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しろちゃん わたしにもちょうだい

だめ! これはあたしの!



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しょうがないなあ



さびはお姉ちゃん

しろにごはんを譲ってあげました




偉いね さび

この頃は本当にしろに優しかったのです




福島の最終回です                                                                     いろいろ行きたいところはあったけれど一泊二日だと殆ど回れないですねまた来ます 絶対南相馬市 村上ここ ... 続きを読む
福島の最終回です
                       
                       
                       
いろいろ行きたいところはあったけれど

一泊二日だと殆ど回れないですね

また来ます 絶対





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南相馬市 村上


ここはミニチュアダックス「くるみ」が居た場所




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2011年7月

かつて くるみが散歩をしていた堤防です






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宿泊したのは南相馬市小高駅前の



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です



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シングルの個室もあります



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お風呂も朝6時から入れましたよ

希望の牧場へも近いので助かりました






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こちらは・・・

どこか分からないですよねえ



ここは私の休憩場所だったところです




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2020年12月

アパートに囲まれた小さい公園

ここにも「えさ台」を設置していたので

フードの補給をしながら休憩していました



現在は線量計以外 全部取り壊されていました





これで今回の福島トリップは終了

今でも動物のために頑張っている方々に会い

過去のことにしてしまいそうになっていた私は

まだまだ来なければいけない場所だと

20キロ圏内の動物たちの最後の最後まで

見届けなければいけないと

改めて思いましたよ




せんちゃんの場所にも行ってきました                                                                     もう何度も紹介していますが大熊町の山のふもとのお宅にいたキジシロそれがせんちゃんで ... 続きを読む
せんちゃんの場所にも行ってきました
                       
                       
                       
もう何度も紹介していますが

大熊町の山のふもとのお宅にいたキジシロ

それがせんちゃんでした



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初めて会ったのは震災の年

2011年12月



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震災後 初めての冬がやってきて

食べるものがない動物たちが

バタバタと倒れていった頃



私は保護することもできず

餌を置いておくのが精一杯でした



ボランティアさんと一緒に保護したのは

それから半年以上経ってから




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ああ・・・

よく生きていてくれたね

遅くなって本当にごめんよ




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あの せんちゃんがうちにいます

寂しい山のふもとの家で

一人ぼっちでいた

せんちゃんが目の前にいるのです

私は本当に幸せでした



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3日間の脱走騒ぎを経て

せんちゃんは大阪のお宅へ行きました



2015年

里親さんが体調を崩し

もうせんちゃんのお世話ができないというので

私がまた引き取ることに

しかしその時せんちゃんもまた体調が悪かった

腎不全

うちに帰ってきてすぐに入院させましたが

病院で亡くなってしまいました




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せんちゃん お疲れさま



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故郷に返してあげようと思い

かつてせんちゃんがいたお宅の裏の林に埋葬




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それからは時間がある時には

せんちゃんのお墓にお参りしながら

給餌活動を続けました


この場所にせんちゃんがいるような気がして

つい写真も撮ってしまいます



そして今回


私のブログを見ていて せんちゃんを知っている

香港のエンさんも行きたいとおっしゃるので

せんちゃんに会いに行ってきました



しかし




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せんちゃんがいたお宅は取り壊され



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せんちゃんを埋葬した

目印で墓石代わりにブロックを置いた場所も

よく分からなくなっていました


せんちゃんは自然に還ったということでしょうか

だいたいの場所に向かって

私が幸せにしてやれなくてごめんねと

せんちゃんに謝ってきましたよ




やさしいキジシロ猫せんちゃん

福島で経験した

数多くの悲しい出来事のひとつででした




ヤヨの場所を訪ねました                                                                     当時の浪江町帰還困難区域と避難指示準備区域の境目に設置した「えさ台」そこに1匹の猫 ヤヨが来てい ... 続きを読む
ヤヨの場所を訪ねました
                       
                       
                       
当時の浪江町

帰還困難区域と避難指示準備区域の境目に

設置した「えさ台」

そこに1匹の猫 ヤヨが来ていたのです



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2018年 監視カメラで撮影

当時は名前も付けていませんでしたが

間違いなくヤヨです



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この餌場で私が確認できたのは この子だけ

餌の減り方もほぼ1匹分しかありませんでした

たった1匹と言えども

「えさ台」を撤去するわけにもいかず

この子だけのために餌を置き続けていたのです




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お腹が減ってはさぞかし寒かろうと

なんとかできるだけ福島に通っていました




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いよいよ私の滋賀への引っ越しが決まって

もう定期的に給餌するのが困難になり

「えさ台」も老朽化していたことから

ヤヨには大変申し訳ないけれど

この最後の餌場を撤去することにしました

2021年の3月のことです




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ごめんよ ごめんよと

心の中で詫びながら

撤去作業をしているさ中に

現れた猫


ヤヨです




これは運命と思い すぐに捕獲器を設置




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ヤヨもあの場所から脱出したかったのか

すぐに捕獲器に入ってくれました




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今回訪れた「ヤヨの場所」

2024年11月11日です

風景はあの時と変わりなく

ヤヨの命を繋いだ「えさ台」を括り付けた

頼もしい杉の木もそのままでした




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保護してから3年半が経ちました

ヤヨは元気

13匹いるうちの猫たちの

誰ともケンカもせず穏やかに過ごしています

ヤヨを保護することができて

私の心はどれだけ救われたでしょう

避妊手術をしましたが 耳はカットしていません

なぜならヤヨはうちの子ですからね




今でもヤヨを見る度思うのです

良かったね(私が)






3人目                                                                     最後の一人は「フクシマのラストマン」「フクシマのサムライ」と言われた松村 直登 氏松村さんは海外の通信社が最初に ... 続きを読む
3人目
                       
                       
                       
最後の一人は

「フクシマのラストマン」

「フクシマのサムライ」

と言われた

松村 直登 氏

松村さんは海外の通信社が最初に紹介したので

この方は海外のほうが有名です

国内のメディアは国に配慮して

なかなか報じることはできませんでした



今年もまたNHKスペシャルで放送された

「福島モノローグ」でご存知の方も多いと思います

このプログラムは海外で賞を獲りました


(ダイジェスト)


海外版
(FULL)


原発の爆発で避難指示が出たのにも関わらず

一度は避難したものの

何も悪いことをしていない俺たちが

なぜ逃げなければいけないのかと思い直し

立入が出来ない警戒区域に残った人です

残って辺りを見回すと

飼い主から置いて行かれた犬や猫

家畜たちが腹を減らし死んでいっているのを

目の当たりにして

行政や警察からの

再三の避難指示をも頑として撥ねつけ

富岡町でただひとり残り

残された動物たちのために奔走されました



時は13年も過ぎて

現在の松村さんは







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いらっしゃいました

体型も雰囲気も何も変わっていません

なぜか猫までいました



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松村さんに猫のことを問うと

いわきに避難した元ご近所の人が

仔猫が産まれたので

面倒を見てやってくれと持ってきたそう



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茶白の みー

すみません暗かったので

まともな写真がありません




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茶トラの とら

フーテンの寅さんから頂いたそう

寅さんと同じで放浪癖があるとか



どちらもオスですごく人馴れしています・・・

手術をしなければと言っておきましたがいつになるか

今となっては

遠すぎて私が何とかすることはできないんです

誰か!




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スズメバチがやってきて困ってるんだ

蜂蜜はまだ作っておられます


時間がなかったので ゆっくりも話せず

残念でした

これはまた行かねばなりません


松村さんに会うと力を頂くというか

まあ私が勝手に頂いているのですが

凄い力をお持ちなんですよ

これは人間力というのかもしれません

周りがどうなろうと

自分がそれに動かされることはない

たとえ地球が滅びようとしていても

松村さんは自分の生き方は変えないで抗い

最後は生き残る

そんな方のような気がしています





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かつて住んでいたご自宅

犬が3匹


アキ ムサシ サスケ

私のことはすっかり忘れられて

吠えまくられましたよ(笑)




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忘れることができない場所です

私が大好きだった猫たちが歩いていた小径です



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さび 会いに来たよ

それとどこかにいる しろ

もう一度きみたちと会いたかった



また来るからね




2番目に訪れたのが                                                                     3.11レスキュー日誌で 情報発信しておられる赤間 徹 氏赤間さん宅を訪れた時はお留守でしたが電話を入れた ... 続きを読む
2番目に訪れたのが
                       
                       
                       
3.11レスキュー日誌


で 情報発信しておられる

赤間 徹 氏


赤間さん宅を訪れた時はお留守でしたが

電話を入れたら近くにいるからすぐに戻ると

10分もしないうちに戻って来られました




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自作の完璧な全天候性捕獲器カバーを前にして

これなら猫はただの箱に入る感覚です
赤間さんのモノ作りは
いつも本格的で参考にさせて頂いています




猫の捕獲を頼まれちゃってさ

何回か行っているのだけど

目的の子以外が捕まっちゃうんだよ

それがまた懐っこい猫でさ

また放すわけにもいかなくて


と 笑う赤間さん



未だに猫の保護やTNRを続けている赤間さん

もうとっくの昔に「被災猫」という子たちは

存在しないはずです

今 ここで生きている猫たちは

日本全国に居る いわゆる野良猫と同じ

なのに・・・





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シェルターを兼ねたお宅には

まだまだ猫たち犬たちが溢れかえっています



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毎日のお世話は大変なことでしょう



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香港のお客さんのエンさんから支援物資

エンさんどうしてもお渡ししたいと

ご自分で持って来られました




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もともとは

犬の保護のため活動を始めた赤間さん(2019年撮影)

震災後数年もすると犬はほとんど見かけなくなり

残ったのは猫だけ

犬が終われば終了というわけにもいかず

猫の保護活動に入ったのです

そして2014年からは地元の豊田動物病院の

豊田先生とタッグを組んで

浪江町の猫たちの不妊手術を実行

TNRと人懐こい子は保護後里親探し

それは現在も続いています





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物腰が柔らかな優しさの中に

その場では強い信念を見つけることは難しい

しかし

この活動を13年以上続けて来られているひとです

犬や猫 他の動物たちの地獄を見て来たひと

派手な活動報告など一切しない

寄付もご自分から集めたこともない

ただひたすら

こつこつと一匹一匹の犬猫を救って来たひと

その意志の強さは

この13年の行動で知ることができるのです




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断言します


赤間さんは間違いなく

原発20キロ圏内犬猫たちの救世主なのです









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過去写真



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赤間さんが捕獲し(2014年)



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豊田先生が手術(2014年)

この連係プレー



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馴れている子もいました(2014年)



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赤間さんご夫妻(2014年)

頻繁に一時帰宅して

餌をあげくださる人がいる場所ではリターン








震災から13年が経ちました                                                                     それ以来ずっと活動を続けておられるそんな人がおられるのを私のブログを見て頂いている皆さんは ... 続きを読む
震災から13年が経ちました
                       
                       
                       
それ以来ずっと活動を続けておられる

そんな人がおられるのを

私のブログを見て頂いている皆さんは

きっとご存知でしょう

今回 今も福島の地で動物たちのために

活動しておられる3人にお会いしてきました

まずは



希望の牧場




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今も出荷することのない

165頭の被ばく牛たちのお世話をし続けています




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いちごが居ました

仲の良い牛が居るようです

良かった

私が知っているいちごは

いつも一人ぼっちだったと思います

やはり種類の違うホルスタインは黒毛和牛には

馴染めないのかと思ったものです




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お邪魔したのは朝の8時

7時くらいから餌やりをしておられ

まだ半ばでした




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おいしいね   うんおいしいね


牛たちは震災直後は餌が無くなってしまい

餓死した子もいましたが

少し後 希望の牧場がたちあがったくらいからは

飢えることなく

毎日お腹いっぱいに餌を食べています

(もちろんそのためにたくさんの人間が尽力しました)




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常々思っていることですが

私はこの牛たちは世界の中でも

一番幸せな部類の牛たちだと思っています

被ばく牛というレッテルを貼られてしまったことが

かれらを救ったのです

現在は被ばくの影響など何もないただの牛ですが

かれらはもう出荷されることはありません




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かつてただ一つ危機があったのが

国による殺処分命令


しかし


多くの農家が命令に従い殺処分に同意する中

牧場代表である吉沢氏は

頑として首を縦には振ることはありませんでした




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震災から13年も経っています

本来なら かれら肉牛は3年も生きられない命

一部震災後に生まれた牛を除き

ほとんどの牛が震災前から生きているので

現在は16歳の牛たちが多いでしょう

和牛の平均寿命は20歳くらいといいます




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俺はベコ屋なんだよね

牛と共に生きてきたし

これからも牛と共に生きていく




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l9125




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俺ももう70歳

残りの人生を出荷もしない牛たちと生きるよ

そして牛と共に消えていくんだ

それでいいんだよ




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ただひとつ言いたいのは

俺たちの生活をめちゃくちゃにしてくれた原発

地方を犠牲にしながら繁栄を続ける都会

それを推進していた国には一石を投じたい

牛や俺は怒っているぞ と




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希望の牧場近くの酪農牛舎から救い出されたいちご

母親の死がいの傍を離れずにいたところを保護

彼女もまた数奇な運命を持つ13歳の乳牛

メスの乳牛なのに乳房が殆どありません

彼女はミルクを搾り取られることもなく

寿命が来るまで生きてゆきます




3年半ぶりです                                                                     福島の動物たちを支援してくださっている香港のエンさんという方がいらっしゃいますこの方は香港でも猫の保護 ... 続きを読む
3年半ぶりです
                       
                       
                       
福島の動物たちを支援してくださっている

香港のエンさんという方がいらっしゃいます

この方は香港でも猫の保護活動をされていて

私の地元

びわこねこたちのためにも支援してくださいました

そのエンさんが福島を訪れたいということでしたので

ご案内したという次第



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日曜日 朝

京都から新幹線

さすが新幹線 速いです



l241110102601984
東京駅の東北新幹線ホームで

東京に滞在しておられたエンさんと合流

郡山へ



郡山駅でレンタカーに乗り換え

R288(ニィパッパ)をひたすら走り

原発のある浜通り地方へ




l06955
途中 山登り(笑)

かつて原発を撮影したことがあった

大倉山に上りました

腰に応えましたわ・・・



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2012年に撮影した第一原発



ところが・・・

現在は木が生い茂って

原発を確認することはできませんでした

せっかく上ったのにー とほほ



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第二原発はバッチリ見えましたけど!



気を取り直して下山し

次の場所をご案内

震災から私のブログを

ずっと見て頂いているエンさん

福島で起きていた悲劇があった場所

私がブログで紹介した場所を実際に見て

言葉が出ない様子でした




つづく



ふと見上げたら                                                                     しもじもの ものよわれを たたえたまえなんてことは絶対言ってなさそうなペロあーもう かわいいったらありゃし ... 続きを読む
ふと見上げたら
                       
                       
                       
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しもじもの ものよ
われを たたえたまえ



なんてことは絶対言ってなさそうなペロ

あーもう かわいいったらありゃしない



横にある猫写真

誰か分かりますか




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私が福島の楢葉町で保護したオス猫です



千葉の個人ボラさんに

里親募集していただくため預けたものの

里親が見つからず その間に腎不全を起こし




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預かりさんの家庭の事情もあって

また私が引き取り

ひと月と少し

クリスマスイブの前日に亡くなってしまった

ぴーちゃんです




ぴーちゃん
ぴーちゃんの最期は

腹ばいになっていたのに

一度 ぐぐっと身体を起こし

そしてまた倒れて息を引き取りました

立派な最期だったのを覚えています

2017年12月22日のことでした




ノイアは福島の富岡町で産まれました                                                                     産んだのは しろさびの「さび」の子どもの 黒ママつまりノイちゃんは さびの孫です現在は ... 続きを読む
ノイアは福島の富岡町で産まれました
                       
                       
                       
産んだのは しろさびの「さび」の

子どもの 黒ママ

つまりノイちゃんは さびの孫です

現在は里親さんの元ですくすく育っていて

7歳になったと連絡がありました



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おめでとう!




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これは7年前

保護してうちに来たばかりのノイちゃん

子猫でしたよ





ね? 子猫でしょ?



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それが今じゃ立派なレディ


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レディ・・・?



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アンニュイなレディ



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仲良くしてくれた先住猫のカイザ(右)



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あざとい!

ほんと可愛いノイちゃんです




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実はノイちゃんは心臓に疾患があるのです

譲渡したのちに検査で判明

里親のNORIKAさんは

それでも病気と向き合って

ノイちゃんを引き受けてくださいました





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幸い現在も病気の方は落ち着いている様子


このままずっと元気で暮らして欲しいですね

頑張れノイちゃん!






ノイちゃんが里子に出た時の記事


福島から11時間かけて                                                                     希望の牧場代表の吉沢さんが京都に!まずは京都市役所前で演説が始まりました演説終了デモ行進が始まり ... 続きを読む
福島から11時間かけて
                       
                       
                       
希望の牧場代表の吉沢さんが京都に!





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まずは京都市役所前で演説が始まりました



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演説終了


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デモ行進が始まります


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蒸し暑い中の行進です


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市役所から目指すは東本願寺


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河原町通りを南下し三条


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京都の一番の繁華街

河原町通りにはたくさんの観光客が



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河原町四条


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総勢200余名のデモ参加者です


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河原町五条


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烏丸通

右手奥にゴールの東本願寺です








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たくさんの方々が演説をされました



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その合間に吉沢さんは本の販売

寅さんばりに上手いセールストークです



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吉沢さんの京都観光



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観光といっても東本願寺の入り口だけですが



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浪江を夜中に出発

11時間寝ずに到着してデモ行進

さすがにお疲れですね



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19時を回ってもイベントは続きます

吉沢さんもテントを片付け そろそろ終了です



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振り返ると京都タワー



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今晩は本願寺の宿坊でお泊りです

ゆっくりお休みください



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明日は大阪の集会に参加です

お近くの方 応援よろしくお願いいたします!




10年前2014年3月                                                                                            福島第一原発20キロ圏内が警戒区域だった頃のお話です警戒区 ... 続きを読む
10年前

2014年3月

                       
                       
                       
                       
福島第一原発20キロ圏内が

警戒区域だった頃のお話です

警戒区域南端の楢葉町に

一軒の金物屋さんがありました

震災から3年が経っていましたが

依然として立入は許されず

誰もいない町に

のこされた動物たちがさまよっていたのです





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私が行くたびに居た一匹の黒猫




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私には保護する能力がなかったので

餌を置くようにしました


餌を置き

それを食べて生き延びてもらう

当時の私はそれだけしかできなかったのです




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「えさ台」を使ってくれていましたが

この時はまだ

近づくと逃げてしまうような子でした



また翌週に行ってみると




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身体の横側がおかしい

どうやらネズミ捕りの

粘着シートがくっついた様子

捕まえることも出来なくて途方に暮れていたところ




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金物屋のご主人が一時帰宅で戻って来られ

ありがたいことに

自分には馴れている子だから何とかしますと

おっしゃってくださった

黒猫の名前はクロだったことも教えていただき

震災前からお世話をしていたということでした




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次に来た時にはお店の前に餌箱が置いてあり



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ベタベタだったところの毛が

刈られていてスッキリ




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ちょっと寒そうだったけれど

まずはめでたい


ところが

誰も住んでいないところに残されている

その状況は変わらず

お店の方も避難先には連れて行けないので

このままここに残しておくしかない





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私にも懐いてくれるくらいの

人懐っこいオス猫だったので

里親さまを募集してみることにしました




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お店の奥さまが描かれた里親募集チラシ(笑)




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他にも猫がいるので

「えさ台」も新しいものに交換





こんなに人懐っこい子だったのか




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ぽてぽてのクロ

見た目や性格は申し分ない

やがて救世主になる里親候補さまが現れたのです


里親候補さまはなんと新潟の方

新潟・・・また遠いところから・・・

でも猫のためなら距離なんて関係ない

その距離で手を挙げてくださったということは

それだけ覚悟があるということ


さっそく日にちを調整して

お迎えに来ていただきました




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スゴイ! 軽自動車でお迎えですよ

左は私の軽自動車ココア(笑)




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金物屋の奥さま 最後の抱っこ



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お別れ

左が里親さまのSさん




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そしてクロは新潟に旅立ったのです







さて

なぜ今 10年も前のクロの話をしているかというと

実は・・・・




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どーん



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クロは元気だと連絡があったのです!

今年でなんと17歳

確かエイズ陽性だったと思います

しかしクロは元気です




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良かったなあ

君は新潟に行って大正解だったね




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飼い主様Sさんからのメッセージ


最近のクロちゃんは今年で17歳、かなりおじいちゃんになりました。そして貧血でゆるやかに体重が減ってきております。 腎不全ではないものの、エイズの子に貧血は状態としては良くないとお医者様が言っているので、
猫用の鉄分サプリを試しにあげたりと、何とか回復してくれるように試行錯誤してます。 ご飯を食べる気力はあるので、こまめに病院に連れて行って体調管理に努めたいと思ってます! 毎日布団に入ってきて腕枕して寝ていて甘えっ子なところはかわりません笑




こんなお知らせ最高ですよね!

クロは

震災と原発事故によって窮地に立たされましたが

運と持ち前の性格で みごとに幸せを掴みましたよ




一匹の福島の猫が幸せを掴んだお話でした






せんちゃんは うちの子                                                                                              私が発見保護し最期はうちで看取り故郷の大熊町に ... 続きを読む
せんちゃんは うちの子
                       
                        
                       
                        
私が発見保護し

最期はうちで看取り

故郷の大熊町に埋葬

せんちゃんは うちの子だったのです






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初めて目撃したのは



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福島大熊町 山の入口の家

震災の年 2011年の12月でした

それでももう9カ月経っていてます



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せんちゃんはひとりぼっちで生きていました


目撃したからには餌を置かねばなりません

当時の私は保護することができず

餌を置いて生き延びてもらうしか方法がなかった




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まだ牛たちも何とか生き延びている頃



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牛たちにはこの後

殺処分という運命が待っていました



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ダチョウ牧場にも

辛うじて生き残っていた

ダチョウたちが居ました




せんちゃんを保護出来たのは翌年の5月

半年も待たせてしまいました





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頑張って生きていた せんちゃん



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ごめんよ

人がいなくなった町で1年と2カ月

気が遠くなるほどの時間だったことでしょう




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大阪にお住いの里親さまが手を挙げてくださり

お迎えに来てもらうまでお預かり




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大熊町で半年間 何も出来ず見てきた

せんちゃんがうちにいる

私は幸福感でいっぱいでした




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せんちゃん 良かったなあ



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せんちゃんはとても人馴れしていました


ところが・・・




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窓に鍵をかけ忘れていて脱走



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なぜか うちの車の下に隠れていた


せんちゃんの脱走は3日間で終了

知らない土地で

不安な思いをさせて申し訳なかった




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心配したよ~




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せんちゃん せんちゃん

かわいいよ せんちゃん




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大阪の新しいおうちのせんちゃん

直ぐに馴染んだようでした



せんちゃんは体調を崩しながらも

3年間 家猫として暮らし

その後

せんちゃんも里親さまも

健康状態が悪くなってしまい

うちに戻すことになりましたが

うちに戻って2日で

病院で亡くなってしまいました



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助けてやれなくてごめんよ



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せんちゃんは故郷に埋葬することにしました




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せんちゃんを初めて見かけた家の

裏の林に埋葬




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せんちゃんがいた場所は

3年以上経ってもそのままで

せんちゃんがまだそこに居るような

そんな気がしたのでした




もうお正月の恒例となっている麦くん便りです                                                                                                           ... 続きを読む
もうお正月の恒例となっている

麦くん便りです
                                             
                                             
                                              
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ぼくは むぎ

ずっとひとりでいきていたんだ

あるひとつぜん おりにいれられたんだよね

そのときはこわかったけど 

そのあと わかいおねえさんが

ぼくのおかあさんになってくれた

とてもやさしくしてもらって

おかあさんとふたりぐらしをたのしんだよ

しばらくしたら かぞくがひとりふえて

おとうさんができた

またしばらくしたら

こんどはおとうとができたんだ

いまはかぞく4にんで たのしくくらしてるよ





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今から8年前までは

麦は茨城県の水戸に近い

常磐道の友部サービスエリアで生きていました

かれがそこで生まれたのか

もしくは捨てられたのかは分かりませんが

そこで私に捕まってしまったのでした


その名はユウ





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飼い主さんは毎年お正月に

写真付きで近況を教えて頂いています



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しやわせのあくび




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保護した時が何歳だったかは分かりませんが

あれから8年

麦もいい齢でしょう

最近は寝てばかりだそうです

昨年は膀胱炎にもなったとか

いろいろ問題が出て来る齢になったということ



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それでもこうして甘えられる家族がいる幸せ



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麦は素晴らしい時間を過ごしています



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ぼく?

しあわせだよ? あたりまえじゃん



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幸せな麦

きっと来年のお正月も

元気な姿を見せてくれるでしょう



飼い主のおかあさん ちえさん

里親募集掲示板の麦を見つけてくれたおかげで

麦は幸せです

本当にありがとうございました




残念なお知らせです                                                                                                                       ... 続きを読む
残念なお知らせです
                                             
                                              
                                              
しろさびを殺処分から救い出し

松村さんに託した郡山在住のボランティア

佐藤さん

今日のお昼ごろ亡くなられたそうです


もう早くから病状は良くないことは

ご自身は知っておられましたが

私には一切話していただけませんでした

何度も福島に足を運んで会ってくださっていた

マルモさんからの連絡で先月知った次第




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佐藤さんは三春にあった

福島県の被災した動物シェルターで

ボランティアをしておられ

その後

郡山から2時間3時間かけて

しろさびたちに会いに来て

ご馳走をふるまわれていました




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しろさびも佐藤さんは大好きな人

だって命の恩人ですから


この軽自動車で毎回峠をふっ飛ばして

来られていたのです

「わたし飛ばし屋だから(笑)」

なんて言って豪快に笑われていました



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恩人と言っても天敵でもある(笑)

毎回 はがい締めにされて

耳掃除や顔を拭かれるのですから



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佐藤さんの行き先は

松村さんのところだけではありません

浪江町の赤間さんのところへも

お手伝いに行かれていました



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人懐っこい犬たちの散歩は

運動にもなり癒しにもなっていました



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誰もいなくなった町を散歩



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赤間さんシェルターのドッグランにて

猫だけではなく犬たちにも

愛情を注いでおられました





さらに佐藤さんは一番重要な活動を

双葉町の帰還困難区域でされていました




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震災前は原発のすぐ隣にあった

養鶏場で働いておられた佐藤さんでしたから

双葉町の帰還困難区域に立ち入る

許可証を持っていらっしゃったのです

一般の私たちは

独自に入ることのできない場所でしたので

どうしても手薄になってしまっていました

佐藤さんはキャットフードを抱え

区域内で残された猫たちのため

何カ所も餌場を作って給餌しておられたのです



20キロ圏内の動物たちを助けるために

行動された佐藤さん

佐藤さんのおかげで

たくさんの猫たちが生き延びられたことでしょう


腰が痛い

身体がしんどいと言いながら

身体が動く最後まで浜通りに通われました


残った私たちは寂しいですが

佐藤さんはきっと寂しくないはず

今年の2月にひと足早く逝かれた

ご主人が待っていらっしゃいます


そしてそして佐藤さんが助けた動物たちも

きっと虹の橋のたもとで待っていることでしょう



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佐藤さんを一番に見つけてやってくるのは

間違いなく このふたり

佐藤さんは寂しくなんか絶対あり得ないと

私はそう思っています




佐藤さん ありがとうございました

大好きでした




福島の写真で探し物をしていて                                                                                                                  ... 続きを読む
福島の写真で探し物をしていて
                                             
                                             
                                              
今日は見つからなかったので

しろさびをどうぞ



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2015年

8年も前

しろさびは仲が良かった



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避妊が間に合わず

たくさんの子どもを産ませてしまったこと




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それが申し訳なくて辛いです

生まれてきた子供たち

もちろん しろさびにも



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会いたいなあ




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ダチョウのモモ

しろさびは

この里に確かにいましたが

今となっては会える手段は

写真と

時々思い出す

自分の曖昧な記憶のみとなりました




写真の探し物をしていて                                                                                                                     ... 続きを読む
写真の探し物をしていて
                                            
                                             
                                             
見つけてしまったハチワレ猫のお話です

一度紹介しましたが再度




時は2011年震災の年です

7月

原発からほど近い双葉町で




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一匹のハチワレ猫を発見



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痩せていて元気がなさそうでしたので

保護を決断


しかし お腹は減っているはずなのに

捕獲器にはなかなか入ってくれませんでした


7月といえばまだ許可証も貰えず

勝手にバリケードを押しのけて潜入していた頃

長時間の滞在は無理

少ない時間の中で数回試すも

何日か かかったのを覚えています



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いつも同じ場所にいたこのハチワレ

写真をクローズアップしてみると

胸の毛などが不自然なのが判明


原因は分からなかったけれど

とりあえず早く保護しなければと

福島に行くと必ず捕獲をチャレンジしました




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何度かのチャレンジでやっと捕獲!

捕獲器の中にいるハチワレを良く見たら

首輪がたすき掛けになっていたのです

ハチワレは痩せてユルユルになった首輪に

前脚を通してしまっていた



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カットした首輪

当然 飼い猫だったのでしょう



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脇は擦れて皮がむけて痛々しかった

お前の飼い主さんは

迎えに来てくれなかったのかい


治療の後

東京のボランティアさんが預かってくださり

療養した結果



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きれいに治り

身体もふくよかに



その後

里親さまも見つかり

もっちゃんと名付けられ数年生きましたが

確か腎臓を悪くしていて

亡くなってしまいました


それでも もっちゃんは

最後はおうちの中で暮らせた

ラッキーな猫だったのでした