11月11日の記事の続きとして12日には書き始めたのですが
なかなか考えがまとまらず更新が遅くなってしまいました
何度も書いたり消したりして
訳が分からなくなってしまいまして
読みにくく 分かりにくいかもしれませんが どうかお許しください
私には 牛たちを生かす意味が分かりません

去年の4月に
初めて
地獄の中で もがいている牛たちを目撃してから
ずっと考えていますが
わからないのです
最初は
「牛が可哀想だろう!」
「なんて酷いことをするんだ!」
怒りが沸きました
しかし
ふと考えてみると
私は肉が大好きだったのです
焼肉はご馳走だったし
ステーキも食べてきたのです
そんな人間が牛が可哀想なんて言えるのでしょうか
私には言う資格などないのです
でも その時は
私の目の前で
肉になる前の 生きている牛たちが
私ひとりに助けを求めて来たのです
水をください
ごはんをくださいと
必死で
それこそ私がいつも使っている
ちっぽけな薄っぺらい 「必死」 とは比べ物にならないほどの
必死さで訴えてきていました
訪れた牛舎は 雄のホルスタイン肥育牛の牛舎
平常時でも見たことがない初めての場所でした

(彼らは泣きながら啼いていたのです)
それ以来 今日の今日まで
私はずっと考え苦しんでいます
牛 豚 鳥 牛乳
厳密にではありませんが昨年の4月より食べられなくなってしまいました
(エキスとか乳製品などは無視してしまっています)
別に絶対食べないぞ と思っているわけではありません
むしろ食べたいのです
食べて
生き物は殺生して生きなければしょうがないんだと思いたいのです

どうすればいいのか
とにかく助けてやって欲しい
助けたい
そうは思いましたが
放射能汚染がない場合なら 助かっても食肉になってしまう牛たち
出荷してお金になったら死ぬのはOKで
お金になる前に死ぬのはNG
今まで見ないようにしてきた世界
この世界にいきなり放り込まれた私は
牛たちを前に泣くしかありませんでした
誰もいないのをいいことに
大の大人が子供のように大泣きしていました
しかし
その私の泣き声も 牛たちの死を前にした啼き声にかき消され
私の悲しみや苦しみなどは
やはりちっぽけなものにしか過ぎなかったのです

助けたい
いやしかし お前に何が出来る
個人でしかも素人が牛たちを世話するのは不可能じゃないか
なら写真を撮るしかない
なんて思ったのは自分への言い訳で
他にできる事など何一つ 私にはなかった
畜生 畜生とつぶやきながら写真を撮りまくり
とにかくこの場を一旦逃げて
重すぎる現実を 誰かと共有することで
負担を軽くしようと思いました
翌日
猫ボランティアさんたちをお連れして
牛舎を見ていただきました
ほらひどいでしょ
こんなことになっているんですよ
僕たち素人じゃどうしようもないですよね
そんなことを思いながらボランティアさんたちの行動を見ていました
彼女たちが どうしようもないと
がっくりうなだれてしまうのをどこか期待しながら・・・
しかし 彼女たちは違いました
考えるより早く あたりを探し回り
餌になるものをかき集めだしたのです
4人いたボランティアさんたち全員が
誰の指示もないのに自発的に動いていました
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この行動は本当に驚きました
他の牧場でしたが これと同じ行動をされた方を知っています
おーあみさん と とーるくん でした
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猫ボランティアさんたち
常時であれば野良猫たちを保護し里親を見つけたり
それが無理なら不妊手術してまた元に戻し
餌をやり続ける活動をしています
猫に興味のない人 猫が嫌いな人たちからは
ともすれば変人扱いされる場合もある方たちです
そういう方たちが 今 目の前で牛たちのために黙々と動いている
先のことを思うと
どう考えても最悪の結果にしかならないことは分かっているのです
でも動いている
ボランティアの方々も全員がベジタリアンでもないでしょう
矛盾を感じながら行動しておられたのかもしれません
でも
彼女たちは目の前の命を見捨てられなかったのです
私は自分を恥じるとともに
引きずられるようにして行動を起こしました
今
まず 今を何とかする
まず行動することにしたのです
今を 何とか継続していけば違う結果が生まれるかもしれません
継続できなくても 今を動く
それが身にしみてわかったのが
全滅したと思っていたその牛舎の牛 数頭が
希望の牧場に合流していたことです(耳標で判明)
無駄だと分かっていても
餌や水を与えたことが数頭でも生かすことが出来たのです
あの時あきらめて何もしていなければ
100%牛たちは全滅していたでしょう
今 動くこと
私はボランティアさんたちに教えていただきました

(官庁街を行く吉沢号 後ろは農水省の入っている建物)
今 警戒区域に残っている牛は約900~1000頭
私たちがこのまま何もしなければ
餓死か殺処分が待っているのです
吉沢さん や 松村さん
やまゆりファームやその他の農家さんたち
牛たちが助かる保証は何もないところで活動をしておられます
私たちが関心を持たなくなって
何も手を差し伸べなくなってしまえば
牛たちが死ぬことになるのは目に見えているのです
今まで牛をいただいて来た自分には
牛を助けてくださいと言う資格などない
福島双葉郡以外の日本全国の畜産農家では
今日も当たり前のように牛を出荷している
そっちの方がかわいそうじゃないか
あーでもない こーでもないと
ウジウジ考えていたましたが
自分は決めました
福島の牛を助けたい
理屈抜きで助けたい
全頭助けることができなくても
たとえ一頭でも助けたい
犬や猫と同じです
助けたい
ここで動かなければ 牛たちを見殺しにしてしまうのです
自分に出来ることをすればいい
それを続ければ 彼らを助けることが出来るかもしれない
直接動くことが出来ないなら
動いている人をサポートすればいい
そう思いました

(行進が農水省前にやってきました)
多数の農家さんたちは諦めてしまったけれど
(責める気はありません というか責められる訳がない)
吉沢さんは 牛を生かすと決断されたのです
希望の牧場にいる約400頭の牛たちを
彼は 何が何でも生かしたいと思われた
その行動には まったくブレがありません

(牛たちの運命を左右する農水省に向けて いよいよ演説です)
吉沢さんの表情を見てください

吉沢さんの叫びを聞いてみてください
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魂の叫びです

どうか皆さん
家畜についてはいろいろな考えがあると思いますが
福島の牛たちが不憫と思われるなら
今 行動を起こしてくださいませんか
まずは知ることです
インターネットでは さまざまな情報があります
もう少し知りたければ 希望の牧場の報告会なども行われる時があります
ペットの話もあり 牛の話だけではありませんが
おーあみさん と とーるくんと一緒にする
京都の報告会が今週末に行われます
去年に続き 2回目の報告会
今回は こちらからの一方通行の報告会だけではなく
参加者の方々のご意見も伺いたいです
福島で起こっている悲劇を解決するにはどうすればいいのか
二度と繰り返さないためにはどうすればいいのか
どうか皆さんのご意見をお聞かせください
どうぞコメントでも ご意見をお寄せください
但し 他の方を気遣ったご意見をお願いしますね
申し訳ありませんが よろしくお願いいたします

人間の思惑に翻弄されながらも 彼らは今日も必死に生きています
11月15日撮影
コメント
コメント一覧 (34)
福島の牛を助けてほしい…そう願いながらも別の肉は食べています。
『いただきます』という言葉の意味は『命をいただきます』なのです。
魚や野菜にだって命はあります。
すべてのものに感謝して『いただきます』と口にするのだと思います。
福島の牛だって、原発がなければ食べていたことでしょう。
可哀想…肉になるために育てられて…でも、だからこそ『命をありがとうございます。大切にいただきます』なのだと思います。
福島の牛達はそれすらも言ってもらえず、ただ無意味に死ななければいけないのですか?
肉や牛乳にはならなくても、生きていたっていいじゃないですか。
餓死や殺処分をされる為に生まれてきたのではありません。
この子達に原発事故の生き証人として、生きてもらってもいいじゃないですか?
少しでも生まれてきた意味があると思います。
どうか生き抜いてください。
私のお母さんはビーガンです。
お母さんがビーガンになったのはわりと最近で、それからは食卓にお肉が全く現れなくなりました。
でも、私はビーガンになる気はありません。
前にフィリピンに行ったとき、私の目の前で鳥が鶏になりました。見ていられませんでした。ショックでした。でも、それを見て食べなくなるのではなく、それを見たからこそ、食べ物には感謝して食べさせていただかなければないないと思います。
せっかくテーブルに並んだお肉、かわいそうだからと言って残したら、それこそ犠牲になった動物にとても失礼だと思います。
家畜に限らず、動物実験や毛皮などについても勉強していますが、常に矛盾を感じながら勉強し、生活しています。
福島の牛やペット、殺処分されるためでもない、餓死させられるためでもない、幸せになるために生まれてきたと私は思います。人間のエゴで不幸になって命を絶たれるなんてあってはいけない。
なんかずれていたらごめんなさい。
お肉を食べようが食べまいが、
目の前で苦しんでいる命を助けたいと
思うのは当たり前の感情だと思うし、
私はこの記事を見て心動かされました!
私はきっとみんなが猫や犬、
自分のペットを食べられないことと
全く同じ理由で食べられません。
理屈じゃなくって、ムリなのです。どうしても。
アメリカではひどい状況にあった家畜たちを
保護して幸せにくらしているファームサンクチュアリが
いっぱいあります。カナダや英国、オーストラリア。他の国にも。
私も1度訪れたことがありますが
ぼろぼろだった子たちが元気にかけまわり
人間を信頼して甘えてきたり、
人々も笑顔で幸せな場所でした。
元家畜動物たちを生かす活動をしている人達は
世界中にいっぱいいます。
むしろ日本に1つもなかったのが不思議なくらい。
私は応援したいです!
この吉沢さんの叫びの演説に、涙と怒りが込み上げて来ました。
国はどうしてこんなに苦しめるのか。吉沢さんたち被災者の人間を、どうぶつたちを。
私も震災・原発事故以来、肉食への矛盾を考えるようになりました。
そして、ベジタリアンになりました。
ただ、付き合いの席で、お肉を食べる場合もあります。
あの腹の底から叫ぶ声を聴いても、役人さんや政治家たちは何とも思わないのでしょうか。。
それでもまだ、殺処分というのでしょうか。。彼らだってお肉を食べているでしょうに。。
原発反対する人が理解できないです。
選択肢がないと考えられないんでしょうか?
で、韓国の原発に事故があったら島根の牛はどうなるのでしょうか?
韓国の原発には反対運動はしないのですか?
政府が正しいとは限りません。
京都での日程をお教えください。
できれば参加したいです。
以前、京都での写真展でお会いしました。あなたの呼びかける声は確実に心に届いています。もいーすさんやおーあみさん達の活動をブログを通して知り、凄い人達だと思いました。私もなにかしなきゃと思えど、実際にできたのは募金や本を買うこと、あとは現実を知ることぐらい、本当にちっぽけです。原発に対しては絶対的に反対です。今住んでるこの街がある日突然汚染され二度と帰れなくなると考えると怖くて悲しくてたまりません。これが実際に福島の人や動物達に起きてしまった。廃棄燃料の処分も確立されてない、そんな怪物を、人が扱えない怪物を、利用すべきではない。だったら電気を使うなという人が必ずいますが、子どもを守るためなら昔の生活に戻る覚悟はあります。今は電気を使いすぎです。私は震災以前からイルミネーションは嫌いです。
死んでいった牛に対する安楽殺の方法が屠殺より残酷だったからです。
農家の行く先を考えると、早めに見送ってやった方が牛の為にも農家の為にも良いことだと思う。
しかし、安楽殺の方法が変わらない限り、殺処分には反対です。
『人間の都合で繋がれている動物を見捨てる事は、決してしちゃなんねぇ。恐ろしい罪だでなぁ。」
台風で死んだ豚を抱きしめて「すまねぇ」と泣く養豚かを「偽善」と笑った私に対し、戒めとして言った言葉です。
祖母は戦争中、10人の子供を育てるために、闇で育てた豚を自ら屠殺した人です。犬をこよなく愛する祖父のもとで、生まれてくる犬達に愛情と尊敬を捧げ育てた人です。学校帰り、田んぼの畦道にオタマジャクシを手の平で掬って日干しにしていた母を下駄でぶん殴った人です。
「どうせ殺すんだから」という言葉を聞くたびに、祖母の言葉を思い出します。
ただ、食べるために命を育ててはいけない
食べられるその時まで感謝を忘れないために環境を与える社会が必要なのだと思います
毛皮でもそう、人の為にそれだけの為に狭いゲージで苦しみながら生活させられる事は命を差別した人の強欲の世界
福島の牛は人にその事を伝えるためにいるように思う、
ペットも食用も人の利益だけで繁殖させれば必ず罰が下る、遺伝子病もその一つ
人が自然のルールを壊せば必ず天罰が起こっている
ベジタリアンになれではなくどう感謝して命を頂くか
昔は人は大事に育てて感謝して命を頂いていた
自然を頂いていた
利益だけでなく福島以外でも食用の動物の環境を改める時期
そして、福島の動物には今までの人間の愚かさを償うことにあるのではないでしょうか?
命を考えるためにも、蓋をするような行政のやり方を変えるためにも必要
皆が知り、考え、助ける
そして、その考えが福島の人までも置き去りにしている社会
まじめに動物の命と向き合っている人が苦しむ社会
利益だけ求める人が裕福な社会である現状
電気は必要、でも人は知恵があるきっと原発に頼らない社会は出来るはず
今すぐでなくても、無くすという信念の元
日本は進まなくてはいけないと思う
肉も食べます。
でも、意味がなくてはダメですか。
意味とは意義でしょうか。
それは、何らかの為になるとか、足しになると言う事でしょうか。
それともそこに何らかの価値を感じ、時に達成感など感じることでしょうか。
意味のあること以外はダメでしょうか。
意義のあること以外はダメでしょうか。
自分自身や周囲の人々を見たって、その人生に意味や意義のある事って、そんなにあるわけではありません。
多分かけがえがないと思えるのは、肉親の思い位ではないかと感じます。
意味や意義のかなりの部分が幻想なら、それでもその幻想が人間にとって必要なら、「そうしたい。」と、強く思うことを大切な意味としてとらえて良いと思います。
それが意味というモノではないですか。
私は意義などわかりません。
でも、精一杯これからも応援と協力をさせていただきたいと思います。
そうしたいです。
もうーすさんが代弁してくださったようで
止めどもなく涙が溢れてきます。
私も、考えても考えても答えが出ません。
苦しいです。
希望の牧場のサポーターになってからツイッターで動物愛護に関する色々な繋がりが出来ました。
殺処分反対、動物実験、毛皮・・・
残酷な写真や動画を見ました。
私達の便利な暮らしの裏には沢山の動物が犠牲になっています。
これらの商品を買わないようにすることで反対に賛同しています。
でも食べることに関してはいい加減です。
私も牛肉は食べられなくなりました。
でも全く口にしていないと言えば嘘になります。
そして乳製品は摂ります。
豚、鶏は食べます。
私ひとりでしたら全てを止めることは可能です。
でも家族に同じことを求めることは出来ません。
自分が食べなくても、家族に食べさせる矛盾。
子供の頃、福島の田舎に家族で行った時、おばあちゃんが
「んめぇもん(美味しい物)食わせてやっからな~」
と言って、鶏小屋から鶏1羽、首を掴んで庭に出してきたと思ったら
首を思い切り捻って殺し、羽をむしり、内臓を取り出し飼い猫に与え、素っ裸になった鶏を台所でさばいて夕飯のおかずに出してくれました。
我慢して1個だけ食べましたが、ショックと気持ち悪さでそれ以上は食べられませんでした。
でもあれが本当の「命を頂く」ということだと思うのです。
感謝して全てを無駄なく頂く。
これからも毎日考えながら色んな物を食べていくのだと思います。
せめて、心から感謝し敬意をもって頂きたいと思います。
また写真が(カメラ変えました?)以前にも増して
すばらしいですね!!
これからの太田さんにも大大期待します、
私も出来る事がんばります!
原発事故で亡くなられた方、動物。
そしてこれからも現実に直面して生きていかれる被害者の方達や動物。
絶対に忘れてはならないと思います。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
月日が経っても昔話にしちゃいけないんですよね。
これからずっと何年も何十年も辛い思いをする人が居る限り。
原発容認の政治家が増えていますが、納得いきません。
原発が無くても本当はやっていける日本。
そして原発の恐ろしさを知っている日本。
いつになったら日本は変われるのでしょぅか。
動物の命を 頂いている 毎日です。
なので 殺して 食べてるということです。
食べて また 自分の中に 命を 頂く・・・。
福島の牛さんたちは 食べることもできない。
友人に 屠殺場で働いたこともある人もいますが 本当に 感謝して 頂いています。
そんな 自分達が 福島の牛を 殺すな!とか 言える立場でもないし その牛たちを 飼育されてた方からしたら 腹立たしいのかもしれませんが 自分は うつくしまを放射能汚染にしてしまったことを フタをするのではなく 見続けて いかなければと 思います。
放射能で 牛さんたちも 影響されているということを もっと 研究して 後生に残さなければと 思います。
うまく 言えませんが 応援しています
わたしも助けをもとめる牛がいたら、
自分は牛を食べるのに、
という矛盾を感じながらも助けると思います。
リアルファーなど、できるだけ買わないようにする。
そんなささいなことから自分にできることを少し意識しています。
どこかで結論は出ていて、
お肉はこれからもいただく、主義です。
宗教ではないですが、
血や、肉になることで
はたまた土に還ることで
命は循環していると考えています。
そのかわり、残さないように、頂きますという言葉を添えて、残さず食べるようにしています。
わたしが食べられる牛さんなら、
余すところなく食べて欲しいから、そんな理由をつけています。
命に感謝して、今日も、いただきます
多数の保護猫を抱えており、福島へのレスキューには行けないまま時が過ぎています。
震災の後、残されて苦しんで餓死していく牛の姿をテレビで見て、生かしておけないのなら安楽死を!と思った私です。
何より動物の苦痛を取り除いてやるのがいいと思ったのです。
でも、今はそれは最終手段であって、まず、生かす方向を訴えなくてはいけなかったと反省しています。
中越震災の時、山古志の牛はヘリコプターで運ばれたのに、どうして福島はだめなのか。
被ばく、ということでしょうか。
被ばくさせたのは人間です。人間が最後まで責任もつのが道理です。
私は畜産業界や養鶏など、商業ラインに乗った命のことを数年前から考えるようになりました。
だからといってベジタリアンではありませんが、
大量生産の為に身体の自由も心も奪われて生き、余れば捨てられるというラインを肯定したくないと、ストレスのない生活をしてきた動物のお肉や乳製品を、多少値が張っても買うように心がけています。
そうすれば買う量も減り、大切に口にするようになります。
手間を愛情をかけて育ててくれる畜産家の方を応援することにもつながるのではないかと思います。
猫も、犬も、牛も、ブタも、鶏も、人と寄り添って暮らす生き物。
命の重さはみんな同じです。
おーあみさん達は、考えるまでもなく、身体が動いたのでしょうね。
私も安楽死を考えるのではなく、まず動ける人でいたいと思います。
ツイッターやブログで紹介させて下さい。
一人でも多くの人の心を、身体を、動かすことができるかもしれません。
忘れてはならない。
今も、必死で生きているのだから。
私は新米僧侶です。
命は平等・生まれてきて意味のない命なんかない。と教わってきましたし、そう思います。
しかし家畜の問題になると・・・本当に悩みました。矛盾した気持ちで葛藤し、考えないようにしたこともあります。
でも、目の前で苦しんでる命があれば助けたい
し、それが犬や猫、家畜であっても。
家畜動物の虐待映像を見てからは
私も肉製品が食べられなくなりました。
他の人にそれは強制できませんが、
法話の中で、特に子供達に食べ物のありがたさを伝えていきたいと思っています。
遅ればせながら、この記事を読んですぐ図書館にもうーすさんと針谷さんの本を置いてもらえるようにお願いに行きました
図書館の方が『はっきり言って、ここでは福島のことは他人事だからね・・・』
いろんな意見があって当然ですが、みんなに知ってもらいたいです
私も出来ることから協力し、応援したいと思います
今、日本国内では衆議員が解散し、野田政権が
崩壊しました。今後の総理を決めるに当たって
国民の一番の求めること、新しい総理大臣に期待することは、
1.景気の回復
2.社会保障の充実 そして、
第3に挙げられたのが原発問題でした。
第3位です・・・これをみながら思いました。
これだけ一生懸命に活動している人の外では
原発問題はまだ3位なんです。
原発から遠く離れている人々にとっては無用の
関心ごとなのでしょうか・・・?
これだけ一生懸命に活動しているひとがいるのに・・・。
声を涸らして、訴え続けるその姿に、1人でも
多くの方々が耳を傾け今の関心ごととして
捉えてくるるよう切に願います。
太田さんがここに書かれたことは、昨年来、心ある人たちがみな考え、そして疲れて考えまいとし、しかしやはり考えずにはいられないことでした。
太田さんはその現場に行き、見てしまった人として本当に苦しまれたと思う。心ある少数の方だけに、すべての苦しみを押しつけているこの国と国民には、この先恐ろしいことが待っているような気がします。
助かった牛はやはり生かさねばならないと思います。ただ、その環境で生かし続けることがよい
ことなのかどうか、正直言ってわかりません。
でも、吉沢さん元気で頑張って、と応援するしかありません。
韓国の原発が心配なら、まずは自国の原発を
止めないといけません。自分がやめないのに
他人にやめろ、と言っても説得力はゼロです。
ちなみに、電気は必要ですが、原発はいりません。
電気=原発という考え方自体が、思考停止、勉強不足です。ドイツも脱原発で政治がまとまって動いています。
なぜ、ドイツ人に出来ることが、日本人には出来ないと思うのですか?日本人はそんなに無能ですか?
日本が石油を買う金で原発を作るということですね。
中国は400基の原発を作る計画です。中国も韓国も日本の原子力技術者を募集しています。
彼らにしたら日本の脱原発は都合がいいでしょう。韓国の原発は多くが日本海側に作られています。
ドイツではすでに太陽光発電で電気を賄う計画は破綻しつつあります。
ドイツの脱原発は陸続きのフランスからの電力輸入ができるからですが、フランスの電気は原発があるから安定して供給されています。
将来原発をなくしたいと思うのなら、今原発を動かすのが一番いいと思います。今石油を買っているお金を代替エネルギー開発のためにつぎ込む。すぐに原発停止ではかえって何もできません。
食べ物としてだけなら今でも好きです。
でもその前からツイッターでトサツの酷さを訴えている人達を知り、その頃から肉を食べるべきではないと思い始めていました。
だんだん減らしていたその矢先に大震災に遭い、太田さんのブログに出会いました。そして肉を食べるべきではない事を決定づけられました。
動物にだって自分がされて嫌な事をするべきではない。遅すぎたけど…気が付きました。
感謝して食べるなんて甘いと思っています。
あなたがじゃあ感謝するから食べられてくれと言われてはいと言いますか?
はいと言えない事をするべきではない。
ましてや飢えている訳でもない。
今回の事は人間の傲慢さを反省する試練だと思います。ほんとに色々色々考えさせられました。
太田さんのおかげだと思います。
行かなくても知る事が出来た。ありがとうございます。
保育士ですが、以前から子ども達には矛盾にぶつかって成長して欲しいと思っています。
人生の中でいざ自分がぶつかると辛いのも事実です。
でも、そのおかげでいろんな意見・考えが聞けて、何かしら心の蓄えになることも事実です。答えを出すことは難しいですが。。。
涙がとまらないかもしれませんが、京都の報告会には是非参加させていただきます。よろしくお願いします。
お肉好きなので食べます。
でも昔、母方の伯父宅で飼育されていた牛の花子を可愛がっていたので
福島の牛も旅立つ日まで、生かして頂きたく思います。
矛盾だらけでもいいと思います。
命は皆大切だと思うので…
なかなか行動に移せていませんが、いつか希望の牧場へ
お手伝いに行きたいと思っています。
給餌活動もお手伝いしたいです。
その時は色々教えて下さい。
関係ないかもしれませんが、私の思う矛盾について…。
崖っぷち犬のように、たった1匹のためには、メディアも含め、みんなで大騒ぎして助けることができるのに、福島のようなもっと多くの助けが必要な状況には、みんな動かなくなる…。なぜなんでしょうか?
太田さんの悩みを読みながら思ったのは、理屈で動くのではなく、矛盾を抱えていようが、ひとりひとりが、目の前の出来事に対して感じた通り、自分ができることをするしかない…ということです。
胸の痛くなるような出来事が、世界からなくなることを祈っています。
私と一緒だと思いました。
「生きたい・・」
それが日本中の動物と人々に共通する願い。
「殺処分」や見殺しは、もう起きて欲しくない。
無茶を書いてもいいですか。私は国を二つに分けたい。
誰かが病気になるなら、もう原発はいらん見たくもない(勝手な言いぐさですみません)。
福島の人間動物を救済し、原発を完全に辞める国と続けたい人の国。二つにわけたい。
身内と共に健康に生きていたい、これから私はその願いを叶えるためだけに生きるし、行動する予定です。
希望の牧場。安全な土地に移転する事は出来ませんか。彼らの希望とは違う方向になってしまうかもしれませんが。
私は、彼らが、安全に生きられる土地を用意する事を一番に考えたいです。
また、動物愛護団体で連携を強めれば、何か出来るんじゃないかと考えます。(私は無知なので違っていたらすみません)
一番大事なのは、この問題から目をそらさないことなのかもしれませんが。
いつも優しい心に染み入る言葉をありがとうございます。
もうーすさん大好きです。
いつもblogを読ませて頂くだけで何のお手伝いも出来ていませんが
私も私に出来る事を僅かでもやり続ける事しか出来ないけれど
苦しくて涙の出る事も多いけれど
それぞれがそれぞれの場所で
一人ひとりが自分の立ち位置で出来る事をやり続けて行くしかないと思っています。
この記事を読ませて頂いて更にその思いが強くなりました。
いつもありがとう。
いつか私がもうーすさんのように自分の考えを発信できるとしたら
その時は一度読んでみて下さい。
お知らせしたいと思います(勝手に決めました)。
その時まで無力な私に知恵と勇気を授けて下さい。
宗教ではないですよ(笑)。
私が勝手にもうーすさんを尊敬しているだけです。
いつもありがとうございます。
被曝してしまったがゆえに「家畜」ではなくて、ただの「命」となった牛たち。
そしてただの「命」であるがゆえに、生きなければならない、命を全うしなければならない。
牛たちを生かし続けるのは、それがもう家畜という、人間のために命を差し出さなければならない存在ではなくなったから、そして命というものは、決して不条理に奪われてはならないものだから。
私はそんなふうに考えて、自分を納得させています。でも本当のところはわからないです。
じゃあ家畜ならば殺されてもよいのか? とても悩ましいですね。
私はほんの一時期ですが、ベジタリアンだったことがあります。今は違うのですが。
どちらにせよ肉を食べるか否か、ということそのものより、他の方もコメントしていらっしゃるように、「感謝を忘れずにいただく」気持ちを忘れないことなのでしょうね。食べるということはたいていの場合命を奪うことでもあるのですから。
でもこの牛さんたちはもう食べられるための牛ではなく、ただ生きている牛なのです。しかも人間の都合で苦難にさらされている牛なのです。なおさら人間が助けなければいけないのだと思います。それはもうペットを助けることと同じなのではないでしょうか。
そんなことを思いました。
実は私は今回のもうーすさんの記事を読んでも泣けなかったのです。泣くべきなのに。泣けなかった自分が少し嫌になりました。
自分の怠惰と無関心を反省しながらこれから何を見て何をすべきか、考え直してみたいと思いました。
あの時は人もたくさん亡くなって、「犬なんて、、」と思った人もいるかと思います。
捜索活動していた人が目にしたのは凄い惨状で、「生きているものはいないか」と必死だったと思います。
命絶えようとしている生きものを救うのは、人がもともと持っている慈しみだと思います。
福島では今でも非常事態なんです。戦争と言っても過言ではないと思います。
難しいこと考えずに「生きさせろ!」と叫びたい。
牛が棄てられたら、こんどは人間が棄てられる。牛たちの命を盾にしているようで申し訳ないですが彼らには生きてて欲しいです。
でも、そこが好きな所でもあります。
何が正しいか悶々と悩むよりも、
行動に移すことが大切なんだと思います。
それを実践されているもうーすさんを、本当に尊敬します。
私達は命を頂いて生きているんですよね。
その事を改めて考えさせられました。
どうもありがとうございました。
何に感謝しているのですか?自分で殺したわけでもないのに?日々の地獄に耐え抜いた事に?死の恐怖に耐えた事に?彼らが耐えた苦痛が、
感謝で報われるとでも思っているのですか?
屠殺現場の非情を知っていますか?見ながら言えますか?
あなたや肉親、愛する人が他の者に搾取され感謝しての「いただきます」、
言えば貴方はokですか?
助けてもらった牛もいるけど、ひどくむごい放置、餓死という方法で原発に殺された牛や犬猫、ペット達がたくさんいるという現実を絶対に風化したくないのでそのためにも。