ぶーん
飛んで 飛んで 約13時間

発狂寸前です

さすがに この体でエコノミーはキツい

でも 文句言うと 仕事が来なくなるから しょうがない (笑)

バタバタしていましたが

やっと余裕が出てきました
ちょっと間が空いてしまいました
私がアフガンを強制退去になり
インドの空港で荷物もどこかに行ってしまい
航空会社とすったもんだしながら
やっと日本に帰ってきて
成田空港から直接所属する編集プロダクションに顔を出した時です
たしか夕方の5時とか そんな時間だったと思います
私の直接の上司にあたる人が 帰ってきた私の顔を見るや否や
「夜 時間あるか?」
へ? いつのでっか?
「今晩やがな」
この上司は体は小さい方ですが 迫力は私の5倍くらいある人
しかも関西出身で関西弁です
私も一応関西人なので この上司との会話はすべて関西弁で行っていました
「撮影があるんや 六本木行ってくれるか」
今晩って わては今帰ってきたばかりなんですけど・・・
「他にカメラマンがおらんのや」
編プロには当時カメラマンが私を含めて3人いたのですが
他の二人は夜のお仕事(いろいろあったのです)があり 出払うらしい
社員カメラマンであった私は上司の命令に背くことなどできない
へいへい 分かりましたよ 行きますよ 行けばいいんでっしゃろ?
で 何を撮るんでっか?
「パンチラ」
はーーーあ?
「ディスコのお立ち台で踊り狂っている女性のパンチラ撮ってきて」
この頃 バブル時代の真っ只中
ディスコ全盛期でした
パンチラ撮影は そのバブリー六本木特集のカットのひとつで
どうしても外せないものらしい(笑)
この日から私の仕事は この特集のために六本木を徘徊する事になります
人物写真やパンチラ写真は掲載できないので勘弁して頂きたく存じます(笑)
「いやーん」
「やめてよー」
お立ち台で踊る女の子が私に向かって叫ぶ (音楽がうるさいので叫ばないと聞こえない)
んなこと言ったって もう見えてるやんかー!
今さら何を言うとるんじゃーーーー!
ちょちょちょっと! 顔は写さないから! お願い! 撮らせてっ!
ある子は撮らせてくれ ある子には断られ またある子にはハイヒールで蹴られそうになりながら
私はアフガンのこともすっかり忘れ (笑) パンチラ写真にのみ集中していたのでした
そう パンチラ写真の鬼と化していたのです げへへ
あんなにも堂々と 女性のスカートの中を撮影したのは
後にも先にもただ一度きりでしょうね
あ コッソリも撮っていませんからね!
六本木交差点
外苑東通り
これはこれで燃える 楽しいお仕事ではありました
お店の取材やお店に来る人間たち 夜の六本木の空撮など たくさんの撮影をしました
しかし今思い返してみるとパンチラのことしか思い出せないでいます
パンチラ写真を撮り終えたところで 私は妙な満足感を覚え
その後の写真はどうでも良くなっていたのです (ちょっとだけウソ)
ある日 初めての紛争地域取材を終えて思ったこと
というか 打ちのめされたことがありました
4月25日の記事 で私はトラック爆弾テロの現場写真を撮りました
報道写真という写真の評価は何種類かあると思いますが
大きく分けて2つになると思っています
○誰も撮っていない貴重な写真
(とにかく誰も撮っていないものだから写りがどうあれ価値があります)
○写真の中にその出来事が直接的でも間接的でも表現されていて芸術として完成している写真
(著名な報道カメラマンの方々が撮っておられますね)
まあ一番いいのは上の二つの要素が入っている写真なのでしょう
私はとりあえず他のカメラマンが持っていない写真を撮影して持っていたわけです
しかし その写真は一枚も売れませんでしたし掲載してもらう雑誌もありませんでした
なぜかというと
つまらない写真だったから
もうがっかりです
もちろん いい写真とは自分でも思っていませんでしたよ
それでも頑張って撮ったのに 頑張ってフィルムを持って帰ってきたのに
なんてブツブツ思っていたのです
ある日 アフガンに行っている期間のストックしておいて貰った新聞を読み返していて
新聞に掲載された写真を見て そのボヤキが吹っ飛んだのです
ああコピーを残しておけば良かった
お見せできないのが残念です
トラック爆弾テロ事件があった翌日に記者会見がありました
死傷者の数 犯行グループの発表やトラックはパキスタンナンバーだったなど
事件の詳細が発表され その後 記者たちに現場を開放したわけです
拘束された私とUPIの人間は 仲間に入れてもらえずホテルでお留守番でした
現場は1日以上経っていて もう目新しいものは残っていないはず
なんて思っていたのです
新聞に掲載されていたのは 多分その時に撮影された写真でした
現場のバスターミナルの向い側にビルが建っていて
ビルの窓ガラスは粉々に割れていました
その割れた窓から とても心配そうに覗く女性看護士と医師の写真
写真の右側に建っているビルの窓です
看護士と医師の表情が 本当に不安そうだったのを覚えています
私は打ちのめされました
そして報道写真というのは これでなければいけない と思ったのです
いくら現場に早く着いたってダメなんです
しっかり読者に伝わる写真を撮らないとダメなんです!
そして年月は経ちますが
未だに納得の行く写真は撮れないでいます
何とか死ぬまでに やった! という写真が撮りたいものですねぇ・・・
私が打ちのめされた写真の撮影者
この人も確かUPIの人だったと思います
中国系アメリカ人でした
私が撮影しているところに 前に出来てたので写りこんでしまいました
ところでインドでなくなった荷物は 見事に返ってまいりました
1ヵ月後に・・・
鍵は壊され中身は引っ掻き回されていました
あまり大事なものは入れていませんでしたが
バッテリー関係 未撮のフィルムなどは 無くなっていました
アフガニスタン編 終了です
次は北朝鮮編の予定です
平和になったらまた行きたいところです
兄機以外の飛行機写真です
今回 私を乗せていただいたタイプです
むき出しでしょ?(笑)
向かって左側の乗員の方の後ろにある白い筒はパラシュートが入っているそうです
足の置き場はペダルがあるのですが
このペダル(ラダー)は 操縦者のペダルと連動して動きますので
こちらが緊張して足を突っ張ったりすると動かなくなることがあります
そうすると・・・恐ろしいことに・・・なると困るので
私はプラプラさせていたわけです(普通にしていられる自信がないんですね)
びわこ飛行クラブの会長さんです
さすがに余裕の飛行です
誰と比べてとはいいませんが(笑)
飛行場長の愛機です
このタイプは むき出しのものより 一つ上のクラスになるようです
いやいや こんな体験が出来るとは思ってもいませんでした
機会を与えてくれた兄に感謝です
そして 0.1tの私を乗せていただきお世話になった飛行場長さんをはじめ
クラブの皆さまにも感謝しています
どうもありがとうございました!
また 機会があればよろしくお願いいたします!
飛行機シリーズ終了です
琵琶湖の南湖 (琵琶湖大橋より南側をいう) の東湖岸
烏丸半島 琵琶湖博物館の近くに飛行場があります
そちらを拠点として活動しておられるのが
「琵琶湖 飛行クラブ」
実はこちらのクラブに私の兄が所属しておりまして
以前から 一度写真を撮ってくれと言われていました
この連休は雲ひとつ無い青空
この機会を逃してなるものかと
撮影してきたわけです
名称は 「ウルトラライトプレーン」 または 「マイクロライトプレーン」 といいます
日本語で言うと「超軽量動力機」だそうです
エンジンは2サイクルで500cc程度 (もう少し大きいものもある)
まあバイクのエンジン程度の排気量で空を飛んでいるんですね
燃料が多く入らないので
そんなに遠くには行けません
南湖から琵琶湖大橋越しに北湖を望む
撮影機を追い越し 離脱していく兄機
撮影機との調整が難しく なかなか良い写真が撮れませんでした
せっかく良いポジションに来てもらっても ピンボケだったり・・・(笑)
滑走路は草地
こんなに短いの!? と思うくらいの滑走路
皆さん上手に離着陸していました
写真を撮るのにゴーグルとか出来ないから
涙ぽろぽろ
でも頑張って撮影しましたよ
この橋は近江大橋?
だと・・・思います
私はベテランのパイロットに乗せて頂いているので
根っこの部分では恐怖感は何もありませんでした
が
撮影をするのに 狭いシートでモゾモゾ体を捻ったりして動けるようにするため
(今回は斜め後ろの撮影が多かったのです)
ひとつだけのシートベルト (旅客機の座席ベルトと同じもの) を緩めにしていると
ぽろっと自分が落ちそうな(笑) 感覚に襲われるのです
乗せていただくのはいいけれど
自分で操縦したいとは思わないです
なぜなら
自分が一番信用できないから (笑)
兄です
好きな映画は「紅の豚」です
今回は兄に乗せてもらわなかったので とっても嬉しかったです(笑)
続きます
ぶーん
私が滋賀に行くために選んだ交通手段はバイクでした
昨日と一昨日と二日間の撮影を終え
今日は混雑を避けるために 滋賀を午前10時に東京に向けて出発
順調に行けば 午後3時には自宅に戻れるはずでした
新名神を走り
亀山ジャンクションで混んでいる名阪道に合流
しばらく走ると
「ガリガリガリ」
明らかにエンジンが壊れている
身の毛もよだつような音
私の愛車は高速道路上でプスンと止まってしまいました
もうどうにもならない バイクは完全に死亡している
応急処置でどうにかなる気がしなかったので
バッテリーが切れ掛かっている携帯電話で
シャープ ハイサンキュー(♯8139) でJAFにレスキューを依頼
時間がかかると言うので
バイクを路肩に止め
レスキューのあとバイクをどうするかを考えました
どちらにしても電話のバッテリーを充電しないといけなかったので
自分ひとりで一般道に出てあたりを捜索
畑仕事をしておられるご夫婦を発見
ご夫婦にお願いして納屋の電源をお借りして
充電しながら滋賀の友人に電話すると 最高のアドバイスが貰えました
なんと インターチェンジひとつ離れたところに
知り合いのバイク屋さんがあった!
早速連絡を入れインターチェンジまで迎えに来てもらうことに
インターチェンジまではJAFさんに運んでもらいました
会員は15kmまでは無料でしたが
25kmあった・・・・とほほ
渋滞している自動車からの熱い視線を受けながら 活躍するJAFの隊員さん
土山ICを出たところで バイク屋さんに引継ぎ
私を救ってくれたバイク屋さん
ハーレーダヴィッドソンなどのカッコイイカスタムをしてくれるお店
バイク雑誌などに定期的にバイクを取り上げてもらったりしている
有名店ですよ
で 私のバイクはどうなったかといいますと
かなーり重症なので置いて帰ることに (泣
私は電車で東京まで帰ってまいりました
バイクの修理代その他で
きっと今回のギャラは吹っ飛ぶでしょう
アハハハハハハハ・・・・!(壊
暖かい5月がやって来ました
やっとって感じですね
うちの猫たち 外の猫たちも
気持ち良さそうにしています
しっぽまる
完全に うちを食堂にしています
触ろうと思えば触れるくらいの距離まで近づけました
まあその先は無理なんでしょうけどね
ぽーとさえ戦わなければ 素晴らしい猫です
愛嬌があるしミヨコさともうまくやっているみたい・・・
あ 先日カミさんが目撃したのですが
何をしてしまったのか知りませんが ミヨコさまに怒られて逃げていたようですよ(笑)
なんか かわいいですね
チーです
昼間に見ることは ほとんど無い猫です
いつもごはんを置いておくと コッソリ食べに来ています
うちでは一日一食だけのようです
男前で精悍な顔つき
ミヨコさまとは仲がいいはずですが 最近一緒のところを見ません
たしか ぽーとも上手くやっていたはずです
またまたカミさんの情報によると
「チー おいでー」 と呼べばついて来るらしいです
私には おっかなびっくりの面しか見せてくれません(笑)
ミヨコさま
マイペースでうちに来ます
この子は触れるので そろそろフロントラインをしてやろうと思っています
おだやかな性格のおばあちゃんですね
ぽーです(笑)
このしょぼくれ感(笑)
しっぽまる はなちゃん シマジロウにいじめられてから
あまりうちでごはんを食べられなくなっているようです
といっても2回くらいは来るのですが
暖かくなったのと 周りが気になってゆっくり食べられなくなったせいで
少しスリムに・・・なったような・・・気が・・・したりしなかったりです
見張っててやるから ゆっくり食べろよ
って見張っているのですが ぽーには通じないようです
はなちゃんは 先日しっぽまると戦ってから見ていません
シマジロウもごはんをやらないようにしてから見ません
みんな一生懸命に生きていますね!
ちょいと出かけてきます 出先で更新できたらしますが期待しないで下さいね