がんばれ ボス
ボスの体調が思わしくありません
今 世話をしていただいている と・ろ・ろ さまが
必死で看病しておられます
詳しいことは 「またたびハウス」 こちらまでお願いします
と・ろ・ろ さまのブログです
いっしょにお世話になっている ミケがボスを心配しているムービーは
涙なしで見ることが出来ません

ミケは 河原時代も ボスの世話を焼いていましたよ

がんばれボス!
ボスの体調が思わしくありません
今 世話をしていただいている と・ろ・ろ さまが
必死で看病しておられます
詳しいことは 「またたびハウス」 こちらまでお願いします
と・ろ・ろ さまのブログです
いっしょにお世話になっている ミケがボスを心配しているムービーは
涙なしで見ることが出来ません
ミケは 河原時代も ボスの世話を焼いていましたよ
がんばれボス!
独立記念式典
前回は軍事パレードでした
今回は場所をスタジアムに移して
社会主義国家が好きなマスゲームや
鼓笛隊が出てきてブンガブンガしたり
ボールを使った健康体操みたいなことをしていました
正直 お世辞にも上手いとはいえないマスゲーム
部族によって意見が割れて
なかなかひとつになれない国家を象徴していました
スタンドからの光は 太陽光を反射させている手鏡によるもの
手鏡はマスゲームに使用するもので 皆持っています
スタンドにいる何人もの少年少女が 面白がって手鏡を反射させて
私に向かって光攻撃をしてきました
「やめんかー」
という意思表示をジェスチャーでスタンドに送ったら
倍以上になって返ってきました(笑)
子供は いいですな
さらに式典の場所を室内に移し
ナジブラ大統領の演説
この時
同時通訳の機械を渡されたのですが
英語すらスットコドッコイの私に
ロシア語の機械(笑)
かなり笑えました
大統領を守るSP
チェコ製の短機関銃が生々しかったです
前回にも書いたように 彼 ナジブラ大統領は のちに処刑されました
彼にも理想があり ソ連と手を組むことで国が良くなるという気持ちもあったでしょう
しかし反対するゲリラ側からみればソ連に国を売った裏切り者で独裁者
その反政府ゲリラもまとまることもなく 自分たちの部族単位で物事を考えている
いったい何が正義なのか よくわからなくなりますね
と そんなことを考えたのは日本に帰ってからのこと
この日から数日の私は 有頂天になって 撮れるものは何でも撮りまくっていました
それが仇となることも知らずに
この頃はまだ良かったのですよ この頃は・・・
このたび
というブログを運営しておられる
ミミさまが
おじさんと河原猫シリーズを判り易くまとめてくださいました
私のブログは もはやとっちらかってしまい
自分でも制御不能に陥りつつあり
もう どーにもこーにもならない状態で続けている中
「こうすれば良かったのか!」 と
目から目やにが取れたような気持ちにさせていただきました
今後 ミミさまのやり方を参考にさせていただいて
判り易いブログに自分の力でしていくとしても
せっかくせっかく作っていただいたので
利用させていただきたくお願いをいたしましたら (泣きつきとも言う)
快く承諾していただきました
皆さん!
これで 「おじさんと河原猫」 が 順番に読めるようになりましたよ!
ダラダラ長くって ちょっと根性がいりますが是非見てやってください
それと
私が関わらせていただく前の河原猫の様子は
「犬猫救済の輪」さまのサイトに掲載されていて
ミミさんはそのリンクもしてくれています
そのリンク先からいくつかの記事もありますので
ご覧になられると もっと良く分かると思います
私もその記事を見て こりゃいかん! と思い行動しました
では
よろしくお願いいたします
ミミさんのブログに飛びます
皆 がんばって生きていましたよ
私が初めて海外の紛争地域で仕事したのは
アフガニスタン
1988年 この年は ソ連(当時)が国際的圧力や
アフガニスタンの反勢力ゲリラなどに悩まされ いつまでたっても平定できないことによる
ソ連国内の厭戦 (えんせん-戦争を嫌う) 気分などで とうとう撤退を決断した年でした
当時アフガニスタンに入るにはビザが必要で(今もかな?)
なんの後ろ盾も無い私がビザを取得できるわけがありません
そこで ある方(とっても怪しい人(笑))からの入れ知恵で偽団体をでっち上げることで
ビザが下りるということを知り
「日本アフガニスタン友好協会」 (そんなものは無かった)
この名刺を作っただけで
まんまと10日間のビザを取得できたのです
取材のメインはソ連軍撤退のシーンを撮影することでしたが
たった10日間では撤退の日まで届かなかったので
一度日本に戻り 2回に分けて行くということで大使館と約束をしました
1回目は首都カブールでの 「独立式典」の撮影
(表向きは独立してましたが実態はソ連の傀儡政権でした)
2回目は 「ソ連軍撤退」
わたしは世界史にも掲載されるであろう歴史的な瞬間に
その場にいられて撮影が出来るという幸運が 嬉しくて嬉しくて有頂天でした
記念式典の軍事パレードです
ここでもファインダーの中の世界に入り込んでしまい
もうコーフンしちゃって前へ前へ出て行くものですから
装甲車に轢かれそうになりました(笑)
アフガニスタン政府軍 の兵器は 当然ソ連製
ザックザック
いつまでたってもまとまりのないアフガニスタンの人々にしては (今もですね)
よく訓練されていたと思います (ソ連頑張って教育したなって感じ)
兵士たちが敬礼している先には アフガニスタン最高権力者の・・・
ナジブラ大統領 (真中)
彼はソ連軍が撤退したのち内戦で敗れ 縛り首で公開処刑されました
女性民兵までが行進
とうとう始めてしまいました・・・
最後まで出来るか自信が無いです・・・
シロです
シロは 今日もストーキングしていますよ (笑)
背中に モヤモヤ感をしょっている とら
背中が ビクンビクン動いている とら
逃げないでよー
あーあ やっちゃいました
つい手が出てしまいます
そんなシロととらの日常でした
ところで
先日ひさびさに
多摩川のおじさんに連絡をしました
おじさんの体は
なんとかお薬のおかげで動けています
「猫が増えちゃいましたよ」
ええ!?
おじさんちには7匹の猫がいたはず
事情を聞いてみると
いつもの堤防の近くに
箱に入った4匹の子猫が捨てられていた
まだ自力でごはんも食べられない子猫4匹の傍らには
アルミホイルの上に盛られたカンヅメのエサが置いてあったそうです
おじさんが発見した時には1匹はすでに死んでいて
残る3匹を引き取り
ミルクを2時間おきに与えましたが
さらにそのうち1匹は助かりませんでした
残った2匹は今のところ順調に育っているようですが
一人住まいの高齢のおじさんが 仕事をしながら
子猫を育てるということは どういうことかを想像してみてください
「いやー 大変ですが なんとかなるでしょう ハハハー」
おじさんは明るく笑います
私だったら 子猫を引き取るかどうか のたうち回って考えまくりますよ
7年前
河原で捨てられ 突然現れた子猫のシロ(当時3ヶ月くらい)を
一瞬で世話をすることを決めてくださった おじさん
参照してください
おじさんがいてくれたから シロは命が繋がっているのです
もう
本当にもう 善意の人に頼るのはやめましょう
自分で責任持って
あきらめないで最後までやれるだけやりましょう
やれるだけやって
最後の最後に
もうどうしようもなくなってから
人に助けを求めましょうよ
おじさんと会ったり電話したりしていて
別れる時に 電話を切る時に いつもおっしゃる
おじさんの言葉
「いつもお世話さまです」
なに言ってるんですか
お世話になっているのは こちらのほう
もっと私に力があったらと
いつもいつも申し訳なく思うのです
河原猫時代のシロとコイ
(コイは北海道の里親さまに貰われて行きました)
今度 お会いして 話を聞きたいと思います
バナーの「チャー」は行方不明になった猫です
「堤防猫 チャー」 の前後を参照ください
うちに来てくれる
外猫たちの頭数は
全部で6頭+1頭
+1頭は 「口元と胸の白い子」
この子のことは 一度しか来ていないので おいといて
あと シマジロウ も TNRしてからは姿を見せていません
どこでどうしているのやら
まずは ぽー (去年の5月撮影)
野性を感じる面構えです
しかし現在はケンカ激ヨワです・・・
最近の写真は このページの一番下に写真アップしておきますね
私が一番最初に関わった子だから
やっぱりかわいいです
毎日
朝 昼前 昼あと 夕方
こんな勢いで来ているのですよ
まあ時々は どこか一回は来ない時がありますが
量をセーブしないと えらい事になりそうです (笑)
チーです
この子は ほんのたまーにしか現れません
うちに来ても ごはんが運良く残っている時だけは食べますが
無い場合 新たに入れてやろうと外に出たら もういません
どこでごはんを貰っているのか わからないのです
人間には 全く馴れていない 警戒心の強い子で
ぽーの次にTNRした子です
夜にごはんを置いておいたら いつの間にか無くなっているのは
チーも食べているのかもしれません
昔 何度かやったことがあるんですよ
「ちょっとお時間あります?」
「あなたのファッションの写真を撮らせてください」
まあ私はファッションのことは良くわかんないので
ほとんど同行している編集者が話しかけていましたが
渋谷のセンター街とか スペイン坂上でやってたなあ
やってるところを
とってもマジメな仕事先(近くの半分国営のような放送局)の人に見つかって
「へえー こんなこともやっているのですか」 と
ニヤニヤ笑われたっけ
で
なんでこんな話をするかといいますと
私もね
声かけられちゃったんですよ フフフ
ピグの世界で(笑)
ピグの中で飼っている
白猫シロのミルク代を稼ぐために
アメを求めて夜な夜な徘徊・・・じゃなくて!
散歩がてらグッピグをもらいにいくわけです
(やってない人にはサッパリでしょうねえ)
で ぼーっと立っていたら
「もしもし? そこの御方」と
声をかけられたんです (ウソです こんなじゃなかった)
それから声をかけていただいた方は
私のことを褒めまくり (これもウソ)
「是非写真を撮らせて欲しい」 と おっしゃる
えーどうしょっかなー
顔出るのー?
困っちゃうなー
私が渋谷でお願いしていた頃の 女の子のセリフである
これでかなりイライラした覚えがあるので
「ええいいですよ」
即答である
かなーり さわやかに答えたつもりだ
そして芸術のため限定なら脱いでもいいくらいの気持ちでいた
「じゃ 写真撮りますから そこでしばらくじっとしていて下さいね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この沈黙が何とも言えんプレッシャーになる
リアルなら
「いいよー はいはい おっ いい表情だねー」
「そうそう 手をさ ちょっと鼻の上に持っていってさ」
「そんでさー・・・」
「つまんでくれる?」
「あはははー」
私も このタイプだ
褒められて コミュニケーションをとってもらって 良い表情を作れる
パチリ
こ こんなんで いいんスか?
ピグの世界で
ファッション写真を撮り続けて ン十年の (ウソ)
フォトグラファーが いらっしゃいます
そして そのひとりひとりのファッションを分析し批評をしておられるのです
1ページに10人登場して
もう70ページに手が届く勢いですから
700人!
すごいです 笑子(えみこ)さん
ちなみに
実は私 リアルで街で声をかけられたことがある
そう あれは新宿だった
PCのパーツを はじめて行った店で購入し
ニコニコして建物から出てきた私を
一人の男性がマイクを持って近づいてきて
インタビュー
「今 ○ルブレイン○(ショップの名前)行って来られたのですか?」
へえそうですが
「その店 オ○ム真理○の経営だってことを承知でしたか?」
!!! し 知りまへんでした・・・
「それが判った今 またこのお店を利用したいと思いますか?」
しまへん! 絶対しまへんで!
と ところでカメラはどこにあるんでっか?
通りを挟んで反対側をリポーターが指を差す
しっかりこっち向いて撮ってるよ・・・
あの・・・
後生ですから顔にモザイクかけてくださいね
これをお願いするのが精一杯だった
ださないでぇぇぇぇぇ
私は出身が滋賀県大津市でもあり
京都は隣街でしたので
とても馴染みのある街です
もう10回以上は しているであろう
京都の撮影の仕事は
毎回とっても楽しいものでした
ガイドブックの表紙にもなった金閣寺
夕日に光ってきれいでした
中には当然入れませんが
現在は 私の分身ピグで金閣寺に登り
建物からの風景を眺めることができます(笑)
お坊さん捕まえて
協力していただきました
もちろんお布施は
ちゃんとさせていただきましたよ
光縁寺にある
新撰組隊士の墓
右の山南敬助は有名ですね
夜の祇園
私 お酒飲めないのですが
ワクワクする場所です
この写真は最近
兄がメシを食わせてくれるというので
連れられて行った時のもの
安いお布施で よくお付き合いしていただきました
ありがとうございます
京都の仕事あったらください(笑)
あ 宿泊費は必要ございません(実家に泊まりますから)
あのひ~との姿なつかしい たそが~れの河原町♪
シロと とらまるの関係
気になるところではないですか? (んなことない?)
今まで なかなか
関係を上手く写真で表現できませんでしたが
それっぽいのが撮れましたので
掲載させていただきますね
早い話
シロはストーカーとなってます(笑)
この時も
まるのそばに やってきました
まるも すぐには逃げない時が多いのです
少し匂いを嗅いだりしますが
んー
何と言いましょうか
シロの圧迫感? (笑)
そう
言うならば圧迫感に耐えられなくなるようなのです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちぇーい!
まるが先に手を出す時もあれば
シロが先に手を出すこともあります
この時は
シロが先に緊張に耐えられなくなって手を出しました
逃げる まる
追い討ちをかけるシロ (笑)
シロが先に手を出すのは
とらまるに何度か やられているからです
最近は
「やられる前にやる」 って感じ
おいおい それでいいのかシロ (笑)
いつも そんなにひどい戦いにはならないので
今のところ見守っています