うちのとらまる

2002年、近所で生まれた野良の子「とら」と「まる」。飼い始めてその可愛さに魅了され撮影を始めました。今ではうちの猫「とらまる」だけでなく、過酷な条件で生きている外猫たちに少しでも力に成れればと思い、自分の活動を始めております。ご質問などございましたら otacats2@yahoo.co.jp こちらにお願いいたします。 2011年に起きた東日本大震災により、事故があった福島第一原発20キロ圏内の取り残された猫たちのために、現在も給餌活動を続けています。

カテゴリ: 過去の仕事写真

Ratko Mladic人名です突然なんのこっちゃタイトルですねご存知の方は結構マニア?この男がとうとう逮捕されたというニュースが昨日ありました紛争終結から約15年旧ユーゴ紛争の最後の戦犯でした昔 ユーゴスラビア連邦共和国というのがありましてベルリンの壁崩壊以降 こ ... 続きを読む


Ratko Mladic





人名です


突然なんのこっちゃタイトルですね


ご存知の方は結構マニア?


この男がとうとう逮捕されたというニュースが昨日ありました


紛争終結から約15年


旧ユーゴ紛争の最後の戦犯でした





昔 ユーゴスラビア連邦共和国というのがありまして


ベルリンの壁崩壊以降 この国も分裂することになり



スロベニア クロアチアがどんどん連邦から離脱


その次に


ボスニア・ヘルツェゴビナが独立しようとした時 激しい内戦になり


この人物は現れました





ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共和国 参謀総長


エスニック クレンジング(民族浄化)を大規模に実行したこの男は


内戦が終結してから


オランダのハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から起訴され


指名手配されていたのです


罪状は


1992年から1995年にかけて行われたサラエボに対する包囲攻撃と


1995年7月11日


ボスニア東部の村スレブレニツァで8000人以上のボスニア人を殺害した


ジェノサイド 戦争犯罪 人道に対する罪






うちのとらまる


1995年 バニャルカにて撮影



私がタオルを首に巻いて撮影しているのを見て


日本人はそういうファッションなのかと聞いてきて


自称日本通の通訳が


本当は頭に巻くのがトラディショナルなのだけれども


彼(私)は首に巻くのが好きなようだと


勝手に説明していたのが可笑しかった





ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は


独立しようとするイスラム教徒


それを阻止するセルビア人(セルビア正教)


そんで


少数派ながらも隣の本国援助を受けつつ戦ったクロアチア人(カトリック)


の 三つどもえの内戦


前線が入り組み 


弾が前や後ろから飛んでくるといわれた


恐ろしい内戦だったのです






うちのとらまる

眼下にはサラエボ市街  包囲するセルビア人勢力







1ヶ月ずつ


計3回取材したボスニアリポートは


また後日ゆっくりとしようと思っています













うちのとらまる






またしても 唐突に過去の仕事写真です今回は中国です どーん中国国内のホテルの従業員をまだ服務員と言っていた頃1988年の取材ですホテルのロビーの喫茶で ベッピンさんの服務員にコーラを注文したら生温い常温のコーラが出てきて コリャ飲めないと思い「ピンジョ(氷)  ... 続きを読む


またしても 唐突に過去の仕事写真です


今回は中国です








うちのとらまる


どーん










中国国内のホテルの従業員を


まだ服務員と言っていた頃


1988年の取材です



ホテルのロビーの喫茶で ベッピンさんの服務員にコーラを注文したら


生温い常温のコーラが出てきて コリャ飲めないと思い


「ピンジョ(氷) プリーズ!」 と言ったら


手掴みで持ってきた氷をポチャンと入れてくれるくらい


サービスの良かった時代です


あまりといえばあまりにもの対応だったので


頭にきた私は 「シェシェ!」 と言ってやりましたよ


おまけに 日本で孔子の子孫といわれる人の弟に唯一教えてもらった中国語


「ニ ヘン ピャオラン!」 (あなたはきれいです) と罵倒してやりました


服務員の彼女はビックリした顔をして さらに


私を なんかヘンなものを見るような目つきで去っていきましたね


私が中国に勝利した瞬間でした


ザマアミロです









さて 今回海を渡り


わざわざ私が北京まで行った理由は


いろいろあります



いろいろって・・・本当にいろいろあって忘れたくらい


皆さんもご存知のように 海外取材ともなると時間と経費がかかります


それを賄い さらに儲けるとなると 


ひとつのネタだけでは とてもペイできません


覚えているだけでも・・・



「神秘の力! 中国4千年伝わる気孔治療」 

(二人の先生が患者を真ん中に挟んで気を放射)


「超シークレット! 北京の地下核シェルター潜入撮」 

(誰でも入れる商店街になってた)


「華麗! 天津にてお花の栽培視察」 

(花がよく似合う私にふさわしい仕事でした)


「壮絶! 田舎の公衆トイレ事情」 

(オエッ)



・・・えーっと なんかまだあったような気がしますが


どれも近代中国を象徴するような格式高くスクープに近いネタですね


お金になったのは こんなところですかね


かなり儲けたような気がしていますが 気のせいかもしれません




あ 忘れていました





今回のメインは この取材でした




「禁断の地! 中国最重要地区 中南海潜入撮!」



【中南海(ちゅうなんかい)は、北京市の中心部西城地区、紫禁城の西側に隣接する地区。】

【中華人民共和国政府や中国共産党の本部や要人の官邸などがある。ウィキペディアより】





はっきり言って 超ヤバイ取材だ



未だかつて ここを撮影した外国人はいなかっただろう


見つかり拘束されれば へたをすれば死刑


たとえ死刑は免れても 生きて日本の地は踏めないかもしれない・・・




私は今回の仕事を終え 帰国したその二日後には結婚式を控えていたのだ


ここで死のうものなら きっとカミさんに殺されるだろう


ん? それならいいのか?


なんか 帰らないほうが良いような気がしてきた


でも たくさんの人に迷惑をかけるから やはり帰るしかないだろう


いや そんな話をしている場合ではない




私は ここを撮影するために来たのだ


ぬるいコーラを飲むためにではなく 


ホテルのロビーのトイレを詰らせてしまい


必死にシュッポンシュッポンしに来たわけでもないのだ




中国最重要地区の潜入なのだ


否が応でも緊張感が高まる


よし行くぞ!




私は意を決して入場券を買った


大人一枚ね







うちのとらまる

『入場記念パンフレット』





中には地図もあって親切だ




・・・・・・




誤解をなさらないで欲しい


いや 誤解も何もそのまんまなのだが


実は中南海地区は


政府要人居住区と 庭園として市民に開放されている地区とで分かれているのである


政府要人居住区は当然入れるはずもなく


今回 私が入るところは庭園部分


やっすいチケットを買えばホイホイ入れるのである



但し


中国人に限るのだ



つまり外国人は入場不可


よって私は中国人に成りすましたのである


失礼ながら はっきり言って中国の方々より洗練されているファッションの私


どうしてもファッションに違和感が出る


しかし遠く離れた香港から来たといえばどうだろう


中国内でありながら国際都市であった香港


垢抜けていても不思議ではないはず


言葉も広東語で通すしかない


広東語は私の得意分野だ


単語の3つ4つくらいは話せる


もし突っ込まれれば


イギリス系中国人でポルトガルの血も入っているから


ヨクワカリマセーン で行くことにした





うちのとらまる


『洗練されたファッションの私』

服務員と戦って勝利した時のドヤ顔 貴重なPHOTOである









いよいよ入場する時がやってきた


大勢の中国人観光客に混じり


緊張しながら入場するための行列に並ぶ


皆何事もなく係員にチケットを渡している


大丈夫だ 自然にすれば問題ない


自分に言い聞かせた


入場門に着き いよいよ自分の番だ


チケットを渡す



しかしそのチケットは半券がちぎれていたのだ


切符もぎりの係員に


「フージャーは?」 (確かこう発音してた フージャー = 副券)


と 質問された


ビビって口をパクパクさせながら 「フ フージャー?」と聞き返す


係員はゼスチャーを交えて半券であることを説明してくれた


この時に外国人とは思わなかったのかなあ


あわててポケットをまさぐったら半券が出てきた


「オー! フージャー」


係員もにっこり 「フージャー(笑)」


どうも緊張の余り ポケットの中で入場券を握り締めたりしていたから


半券がとれてしまっていたのだ




引きつった笑顔を振りまいて なんとか無事に入場に成功


入ってしまえば そこは中国人ではあるが観光客がいっぱいる のどかな庭園


ゆっくり落ち着いていられる場所であった









うちのとらまる



観光客になりすまし あちらこちらで撮影を始め


のんびりしたのち



いよいよ私はさらに厳しい使命を果たせねばならないのだった








うちのとらまる

『毛主席故居』とある




この中南海には毛沢東 周恩来 他 などが居を構え


執務を行っていた区域があり


私の最終目標は 毛沢東の部屋の撮影なのだ


しかしその場所は中国人でさえ撮影禁止


果たして撮影できるのか



人の流れに沿って各部屋を見学し


いよいよ毛沢東の書斎の前に来た


あたりを見回し


観光客はいるが 係員らしき人間はいないのを確認して


カメラにストロボをセット


そして







うちのとらまる



「フージャー!」 じゃなくって 「えーい!」


と 1枚だけシャッターを切ったのがこれ




なんか別に・・・って写真 (笑)


でも結構いい値段で売れたのですよ



撮影した時 さすがに回りの中国人たちも ちょっとビックリしていたけれど


笑顔を振りまきながらその場を離れ


平静を装い しかし逃げるように早足で中南海をあとにしたのだった









うちのとらまる




置いてあった立体地図


あくまでも台湾は中国なのね





ドキドキしたけれど


楽しい中国取材でしたよ








うちのとらまる

すごいね中国 






「ガオルンセンチャイ」って香港の人は言ってました九龍城塞以前の香港の象徴? とまではいかないけれど少なくとも香港の負の象徴であった建物群違法建築にさらに違法建築を重ね まるで増殖する生物のような一角が香港にあったのです地上から見ても凄いことには違いありま ... 続きを読む

「ガオルンセンチャイ」


って香港の人は言ってました




九龍城塞




以前の香港の象徴? とまではいかないけれど


少なくとも香港の負の象徴であった建物群



違法建築にさらに違法建築を重ね 


まるで増殖する生物のような一角が香港にあったのです






うちのとらまる



地上から見ても凄いことには違いありませんが


空から見ると さらにすごいことが分かります




うちのとらまる



根性なしのわりには怖いもの見たさといいますか


好奇心の方が勝ってしまうのですね


香港に行けば是非訪れたいと思っていました




うちのとらまる




建物群の1階は 大体が商店や小さい工場などが入っていて(歯医者多し)


上階は殆どが住居でした


建物と建物の間 隙間と言ったほうがいいかな


それが通路になっています


一つの建物は大体が(全部調べたわけではありません)独立して建っています


ですので その建物に入って階段を登ってしまうと当然渡り廊下などはありませんので


隣の建物には行けません


但し 屋上まで行くと板などが渡してあり自由に隣の建物に移動できます





うちのとらまる




また地上に戻り 撮れそうな場所は撮影してみるのですが


何度か住民に叱られました


それでも数枚は撮ったのですが


残念ながら雑誌掲載時にフィルムは行方不明になってしまいました


もっともビビりながら撮影してますので


そんなに自慢できるような写真じゃなかったです・・・





うちのとらまる





そうそう

むちゃくちゃデカいネズミが足元にいたのには驚きました

まるまると太っていて 動きは鈍いです 人間を恐れません


踏もうと思えば踏めます ギャー

中に入ると 昼でも薄暗いので写真には収めていません

ストロボを使うと目立ってしまうので使いませんでした




この真ん中がぽっかり吹き抜けのようになっているのは


吹き抜けじゃなく高い建物が建たなかっただけで


平屋の老人ホームでした


地図には老人中心と書いてありましたね





うちのとらまる








うちのとらまる




香港島サイドは開発され 巨大ビル群など並び

九龍サイド(半島側)の雑然とした街

このふたつの顔で 香港は成り立っていました





うちのとらまる



その以前の香港の規模が大きい版が 今の中国のような気がします


香港のような小さい規模でも 貧富の差はかなりあったのです



今の13億の中国の人々が 日本のように中流意識が持てるようになるには


並大抵のことではないでしょうね


それだけの人間を統治するには 日本を悪者にするのをはじめ


かなり強引な政治をしないといけないのでしょう






うちのとらまる




この中国でなかった頃の香港は とてもワクワクするものがありました







しかし 今の香港や中国には 残念ながら歴史以外何の興味も湧きません















うちのとらまる

だれか中国の人民にひとり1円ずつ貰う方法を教えてもらえないでしょうか(笑)








1980年代 後半の香港です香港がイギリスの植民地だった頃香港は世界有数の金融都市であり 観光都市でしたニューヨークのタイムズスクエアを凌ぐほどの凄い原色ネオン現在も こうなのでしょうか 食べ物も死ぬほどあります(笑)こんなのがあったのを ご存知ですか?101  ... 続きを読む



1980年代 後半の香港です




香港がイギリスの植民地だった頃


香港は世界有数の金融都市であり 観光都市でした






うちのとらまる




ニューヨークのタイムズスクエアを凌ぐほどの凄い原色ネオン


現在も こうなのでしょうか











うちのとらまる




食べ物も死ぬほどあります(笑)











うちのとらまる


こんなのがあったのを ご存知ですか?


101 と呼ばれ ブームとなりました


髪の毛が薄い方々は買い漁っておられましたね


結局 どうにもならなかったみたいですが・・・


これは確か類似品だったような気がします


ホンモノでさえ怪しかったのに類似品って(笑)







うちのとらまる







うちのとらまる







うちのとらまる








1980年代中頃から後半当時は 香港映画のブームがおきていた頃


古くはブルース・リー その後のジャッキー・チェンのカンフー映画とは全く異なった


香港ノワールといわれるハードボイルド映画が


作られていました



その中でも


突出していたのが



チョウ・ユンファ主演の「男たちの挽歌」(1986英雄本色)


はっきり言ってカッコ良すぎです





うちのとらまる



いくつかの香港映画界の取材などをしましたが


彼のインタビュー意外は 何も心に残っていません(笑)


もう めっちゃファンだったのです




「男たちの挽歌」の監督は 今や押しも押されぬハリウッド監督 ジョン・ウー


でも ハリウッドに進出してからは 派手なだけであまり面白くないと思っています


男臭さが出まくる作品を作っていた香港時代のほうが数倍好きですね


いや 男臭さは現在の作品にもあったりするのですが 白人俳優には合っていないのです


やっぱり東洋人でないとね



「男たちの挽歌」のハイライトシーンはyoutubeでも見ることができます



使用火薬量を倍増した「男たちの挽歌2」(1987英雄本色2)もスゴいですよ(笑)







うちのとらまる



こちらは90年代に入ってから来日した時に撮影したもの


撮影できると聞いて 「行きつけのガンショップ」(笑) で銃を借りてきました


彼が男たちの挽歌シリーズで使用する銃は いつもベレッタ92Fだったのです









うちのとらまる



華やかな良き時代の香港


懐かしい思い出です











うちのとらまる

船上レストラン行ってみたかった






日が変わって9月23日今日は 私のお誕生日ですよ先ほど カミさんからプレゼントを貰いましたきんつば でした嬉しかったです90年代の取材です台湾の原発事情を取材に行きました当時は第一 第二 第三と 三ヶ所 原子力発電所がありました現在は第四が建設されたようで ... 続きを読む

日が変わって9月23日


今日は 私のお誕生日ですよ


先ほど カミさんからプレゼントを貰いました


きんつば でした





嬉しかったです










90年代の取材です




台湾の原発事情を取材に行きました


当時は第一 第二 第三と 三ヶ所 原子力発電所がありました


現在は第四が建設されたようです










うちのとらまる


冷却水が必要なので 日本と同じように海岸に建設されています






うちのとらまる



当然 警備は厳しい感じでしたが


愛想のいい警備員


気軽に写真を撮らせてくれます








施設などを撮影する時に


その全景がわかる写真を撮りたくなります


1枚目の写真のように引いて遠くから撮影する方法と




うちのとらまる



もうひとつ


高いところから というのもアリですね


このように谷に建設してある施設は


山に登れば全体がよく分かる写真が撮れるわけです




上の写真を撮影したわけですが


なんかつまんない


もっといい撮影ポイントはないかと眺めていると


あるじゃないですか


向かいにそびえ立つ鉄塔


こういう場合 だいたいは許可などもらえないことが多いのだけど


ラッキーなことに登らせてもらう事になったのです



やったラッキー!


と思ったことが 


鉄塔を登るにつれて すぐに後悔に変わっていきました




そういや 私は軽度の高所恐怖症 だった






うちのとらまる



高い


高いよ


むちゃくちゃ高い


命綱なしで 階段じゃなくてハシゴで登る


こ 腰抜けそうでした・・・



登るのは私ひとりなのね


誰もついて来てくれないのね


ハイハイわかりましたよ


私が言い出したことだもんね








うちのとらまる



と・・・ 撮ったどー・・・




登るのに時間がかかってしまい もう夕景になってるし



鉄の柵にしがみつきながら


わしゃわしゃとシャッターきって


とっとと降りて参りました






あああ


マジ怖かった・・・




しかし


本当に怖いのは このあとだった






うちのとらまる



取材がすべて終わり


最後に放射能検知器でチェックを受ける


このようにして体全体をチェックし


さらに手持ちで検査する小型検知器でもチェック


その小型検知器が


私の頭部を調べた時



ザザザザザザ・・・・



音が鳴る


この音聞いたことある


ゴジラ映画とかで出てきた放射能汚染を調べる


ガイガーカウンターってやつ? あれと同じ音だ


頭以外はさほど鳴らなくって


また頭部に来た時に



ザザザザザザ・・・・



なにこれ


どしたのよ



係員が何度もチェックしてくれる


やっぱり頭部に反応してる


他の人間は こんなことになっていない



私だけ ザザザザザザ・・・・ だ



いやーん


どうするの


私はどうしたらいいの



「ホテルに帰ったら よく頭を洗ってくださいね」


係員が 私を安心させるように にこやかに言う


な 何で洗うの? 特別な薬品とか?


聞いてみたら


「もちろんシャンプーじゃないですかー」


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


ちょちょーい!


ほーしゃのーはシャンプーで落ちるのかよっ!


「ハイ 落ちますから」


ホテルに帰って飯も食わずに 何回頭を洗っただろうか


あんなに必死で頭を洗ったことはない


髪の毛パサパサになった







うちのとらまる



怖いね


危ないね


原発













ぶーん



飛んで




うちのとらまる




ここは台湾南東にある島 蘭嶼島(ランショ島)


外周は40kmほどの小さい島である








うちのとらまる



この島には先住民族のヤミ族が住み 


漁業や放牧、農業で生活している


台湾本島からの観光客も貴重な収入源だ








うちのとらまる


南方系のヤミ族はちゃっかりさん


写真を撮影するのに料金がかかる


まあ分からないでもないが


(ケニアのマサイ族も有料見学ツアーがあるというし)



「あたしゃ75歳だよ」


「お金 お金」


びっくりだけど このおばあちゃんは日本語を話しました


日本って 


こんな離れ小島の原住民にも教育を行き届かせていたのかって感心します









さて ここに来た理由はヤミ族の撮影のためではありません





うちのとらまる



なんと この島は 放射性廃棄物の捨て場所になっていたのです


穴を深く掘るでもなく


コンクリートで囲まれたところに


廃棄物が入ったドラム缶を積み重ねて保存します


こんなのでいいのかしら





うちのとらまる



こんな海の近くで・・・


もし津波などが来て 流れ出したりしたら


汚染は黒潮に乗って日本まで来るのでしょうね


私たちの知らないところで


ヤバイことが起きていました



現在は地元の反対で廃棄物を受け入れていないそうです


といってどこかには捨てなきゃいけないし


どうしたものでしょうねえ


日本も捨てるところに苦慮しているようですが・・・




当たり前のように使用している電気


今 日本の電力の30%を原子力発電でまかなっているそうです


ここまでくると今更切ろうとしても切れない仲


安全管理を徹底的にしてもらい運用してほしいものです








うちのとらまる

汚染された頭髪は その後真っ白に・・・(ウソ)

よくシャンプーしたから大丈夫でした

ホントにいいのか そんなんで!







さて北朝鮮シリーズは 今回で終わりですもう少しだけ お付き合いくださいね平壌空港の写真こんなにホイホイ撮らせていいのかと思いましたねこの頃 空路で北朝鮮に入るのは北京経由しかし この時はチャーター便で日本からダイレクトに入りました平壌市内後方に「千里馬」 ... 続きを読む




さて北朝鮮シリーズは 今回で終わりです


もう少しだけ お付き合いくださいね








うちのとらまる




平壌空港の写真


こんなにホイホイ撮らせていいのかと思いましたね



この頃 空路で北朝鮮に入るのは北京経由


しかし この時はチャーター便で日本からダイレクトに入りました









うちのとらまる


平壌市内


後方に「千里馬」(チョンリマ)像と 金色の怪しいおじさんの像が見えます


なぜ金色? 


これについては いいや どうでも




チョンリマは一日に千里走ったという伝説の馬


朝鮮人民の気概と 不屈の精神の象徴らしいです










うちのとらまる




絶対 足長いって(笑)


最近 私もフォトショップのテクニックで覚えましたけどね


この絵師も気を使ってるんでしょうなあ


偉大なる首領さまより将軍さまは背を高くしちゃいかんとか


失敗したら収容所送りとかあるのかな



首領さまの首がないのは いいのかな(笑)








うちのとらまる



万景台(マンギョンデ)の偉大なる首領さまの生家


質素なことをアピールしているが この規模は当時ではいいほうである


贅沢にも出来ない みすぼらしくもできない


間を取ってこれになったのでしょうね


何も知らない国民は こんな ありもしなかった家を見せられて感心しているのですかね


あ これは私の想像ですけどね 99パー当たってると思います(笑)







うちのとらまる


ウホー


ウソで塗り固められたものより 熊でも見ているほうが余程マシです


でも ツキノワグマって朝鮮半島にもいたのですね


勉強になりました






うちのとらまる



朝鮮最悪料理


貝のガソリン焼き


なぜこれを私たちに食わせるのか訳が分からない


味はガソリン風味である


信じられない


絵として ネタとしては面白いから良かったけど








うちのとらまる




そして いよいよ今回のツアーの目的地に向かいます


メインイベントは「金剛山」ハイキングです



そういや少し前まで韓国人向けにツアーをしていましたが


女性客が射殺され


現在は中止されています



私が訪れた当時は (’90年代)


北朝鮮政府は日本に向けてもツアーを企画したかったのです


外貨が何としても欲しかったのでしょう


しかし 結局それも実現はしなかったのですがね




途中の バスの中から撮った何枚かの写真


手を振ってくれる農民たちです


本当に自分たちの意思で振ってくれているのか つい疑ってしまうのです








うちのとらまる



もっとも 忙しくて こちらのバス行列に関心のない人もいましたけど


本当っぽくて いいですね


実はもう何が本当なのかも よく分からないのです


困ったものです






うちのとらまる


誰もいないビーチ


先に書いた韓国人女性が射殺されたのは 


このようなビーチを 朝早く散歩していたところだったようです


2008年のこと


ビーチ歩いて射殺かよ


なんという国


まあ入ってはいけないというところだったらしいけど


逃げたらしいけど (本当のところは分からない)


受け入れ態勢も整ってないのに 金欲しさに客を迎えるからこうなる


つくづく出たとこ勝負の国だ


回せる電力もないのに作る回転レストランとか 明かりがついてない地下鉄ホーム


部屋が出来ていないのに営業しているホテルとかね


ホント訳分からん










うちのとらまる



完全に夜の潜入目的のためにあるような船


いつでも真っ黒にできそうですね


車中から撮影しました











うちのとらまる




金剛山


花崗岩の奇岩で出来ている標高1600mほどの北朝鮮南東部にある山です


日本でいえば妙高山がそんな感じですかね







うちのとらまる



全部歩くと大変なので 中腹? くらいまではトラックの荷台に乗って移動


その後は歩きになります







うちのとらまる



登山道はよく整備され


景色を楽しみながら登っていきます








うちのとらまる



どうも気になるのが 岩肌に刻まれた文字








うちのとらまる




もうそれが あちこちにあるわけです


こういうことをする習慣がない私たちにとっては


非常に目に付き気になる


せっかくの景観が台無しだと思ってしまいます







うちのとらまる




景色は本当に素晴らしいのですよ






うちのとらまる




わかりますか?


下の方に豆粒のように人間がいるのですよ



写真が小さくってすみません








うちのとらまる





うちのとらまる







うちのとらまる






うちのとらまる






うちのとらまる




泊まったホテルに併設してあった温泉






うちのとらまる


日本のように大きいお風呂があるわけではなく


家族風呂サイズのものが いくつか部屋になってありました




モデルになってくださったのは日本の某TV局ディレクター








うちのとらまる




そしてここにもいた・・・・







うちのとらまる




拉致された方々を思うと 本当にこの親子の笑顔はムカツク


めぐみさんは13歳でさらわれたのです


中学生の女の子ですよ



ありえん・・・



私のようにヤバイところに好きで行って


とっ捕まってタスケテーって言ってるのと訳が違う


日本国内でクラブ活動を終え下校中に


誘拐されたのですよ


何の落ち度もない女の子が!


それを長い間放っておいた日本政府


旧社会党なんぞは拉致などないとまで言っていた


バカですか?


誰とは言わんが眉毛爺とおタカさんは 責任とって北朝鮮行って交代して来い!



そしてやっと小泉内閣時に 動き始めた救出行動が 今また止まっている


先日 生存者がまだいると報道があった


日本人が理不尽に拘束されているというのに


その日本人を 守れない救出できない 国って何なんだよ


アメリカは中国から国境を越えて「勝手に入った」アメリカ人ですら


カーター元大統領が交渉に当たり釈放させたのですよ!?


なんで!


なんで日本は出来ないのか!






贅沢の限りを尽くして不摂生した報いで 体がボロボロになってる将軍さま


今 未練がましく体制を維持しようと 後継者を立ててコソコソやっているようですが


中国にいいように利用されているのに 尻尾振って必死で訪問しているし


こんなインケツな国 さっさと体制が変わればいいのにと思うのです



日本の交渉も今がチャンスのような気がするんだけど


できる人間はおらんのかいなー




ふー


書いてて腹が立って疲れた














うちのとらまる


最後は 猫


私が北朝鮮訪問で唯一見かけた猫です


外国人用スーパーにいました


まあ 飼われているのでしょう



平壌だけかもしれませんが 


この子を見て 猫たちが生きる余地があることに安心しました



野良猫でも可愛がれる 余裕のある国になって欲しいです





終わり









うちのとらまる

またいた・・・








またまた時間が開いてしまいました前回 勝手な行動をしてこっぴどく叱られた私はその後 北朝鮮ガイドの言いなりになり大人しくしていましたしかし相も変わらず案内してもらうところは つまんなくフラストレーションが溜まりますそんな中で少しだけ楽しみを見出すことが出 ... 続きを読む


またまた時間が開いてしまいました




前回 勝手な行動をして


こっぴどく叱られた私は


その後 北朝鮮ガイドの言いなりになり


大人しくしていました




しかし


相も変わらず


案内してもらうところは つまんなく


フラストレーションが溜まります




そんな中で


少しだけ楽しみを見出すことが出来たのが





うちのとらまる



北朝鮮の女性の撮影


こちらの女性たちは


カメラを向けるとピースサインをするような日本とは違い


かなーりシャイです





うちのとらまる




殆どの女性は ぎこちない笑顔で答えてくれるか






うちのとらまる




職務を全うすることにより


カメラを意識しないようにしたり






うちのとらまる




完全に恥ずかしがって


こうやって顔を隠してしまったりします♪





うちのとらまる




その仕草


その仕草がワシには たまらんのじゃー


ウヘヘ



ほれほれ


どうじゃ ほれ








うちのとらまる




た 楽しい・・・・






うちのとらまる



はっ




いや


こんなことをしている場合ではない


私は報道カメラマンだった



こ これは北朝鮮の 


女性のぉー


えー・・・


い 衣服?


そうそう


衣服の調査というか


そんな感じの取材?


ま そんなところ






うちのとらまる




ゴルフ場のキャディさんも 普通にいます







うちのとらまる



ハチミツジュースを注いでくれる お姉さん





うちのとらまる


なんか




うちのとらまる




昭和のかほりがする


懐かしい服装









うちのとらまる





うん これはこれで楽しかった


ゆっくりお話でもしてみたかったなあ








次回で終わりです








うちのとらまる

日本からの在日朝鮮人修学旅行生

ピースサインしてましたよ(笑)








平壌に入って3日北朝鮮政府の都合の良いものばかり取材させられていよいよイライラがつのって参りますもっと生(ナマ)の生活が見たいありのままの北朝鮮を撮影したい という気持ちがとうとうピークに達したのですとはいえ 毎日スケジュールが決まっていてその時間内はどう ... 続きを読む



平壌に入って3日


北朝鮮政府の都合の良いものばかり取材させられて


いよいよイライラがつのって参ります



もっと生(ナマ)の生活が見たい


ありのままの北朝鮮を撮影したい という気持ちが


とうとうピークに達したのです

とはいえ


毎日スケジュールが決まっていて


その時間内はどうすることもできません


ならスケジュール外で動くしかない


という安直な結論に達した私は


早朝に動くことにしました





うちのとらまる




ホテル前の通り


たぶん当時の北朝鮮で一番の夜景








確かその日の合同取材は朝9時にロビー集合になっていたと思います


市内のいろいろ取材の日でした



私は6時に起床し


6時半にはロビーに下りていました


ホテルのフロントには2人の人間がいました



ホテル前の通りの様子を見に行くふりをし


外に出ることに成功







うちのとらまる




そのまま約200mくらい離れた場所にある


平壌駅に向かいました



道路はいつもきれいだと思っていたら


清掃車がいました


ゴミひとつ落ちていません


これはこれで すばらしいことでしょう


でも私が見たいのは一般の人々の生活









うちのとらまる





駅に到着しました




脱走者の立場なので あまりカメラをおおっぴらに出せず


要所要所の撮影になります



外から見る限り


人はそれほどいるように見えません




この国で鉄道はどういう使われ方をしているのでしょう


日本のように毎日通勤で使っているのでしょうか









うちのとらまる




近づいてみますと それなりに人がいます


通勤・・・という感じではありません


軍服を着た人も結構います












うちのとらまる


若いです 少年兵でしょうか


撮影されるのは嫌じゃなさそうでした


どこかの任地に行くところなのでしょうか


軍服が板についていないので 新兵さんでしょうね


これから厳しい訓練が待っているのかもしれません











うちのとらまる



構内に入ります


待合所で仮眠をとっている人たち


列車の本数が少ないことが伺えます




何枚かフラッシュを炊いても撮影を静止されもしないので 


だんだん調子に乗ってきました


そして改札の方まで入っていき











うちのとらまる




この写真を撮る直前


カメラを構えたら


どこからともなく背広を着た人間がフレーム画面の中に入ってきて


お年寄りなど 身なりのきれいでない人たち数人を


柱の影などに追いたて


写真に写らないようにするのです



さらに角度を変えて撮ろうとしても


同じように写真に写らないように追い立てます


荷物の上で眠っていた人も起こされていました



気持ち悪いのは 私には何も言わないのです


今まで「撮るな」「出て行け」は何度も言われた事がありますが


こんな経験は初めて


薄気味悪さを覚えて 駅での撮影をやめました










うちのとらまる




外に出て もうひとつ絶対行ってみたいところに向かいました


先ほどの背広の人間が後をつけているのではないかと


後ろを振り返り確認しましたが それらしき人間はいませんでした




ここは地下鉄


核シェルターにもなるというほどの深さがあります


通常より遅い感じのするエスカレーターで延々降りて行きます



ホームに降りた時


驚いたのは真っ暗だったこと


一般の人たちは かろうじて見える程度の明かりの中で


電車が来るのを待っています


やっぱり電気不足で節電をしているのだと


その証拠写真を撮ろうとした時(暗いのできれいに写せる自信はなかったのだけど)



駅員の女性が小走りにやってきて 撮影を静止しました


私は朝鮮語は分からないけど (というか日本語と関西語以外は分からない)


撮るなといっていることはなんとなく分かった



ああーだめか やっぱり撮影は無理かとあきらめかけた時


どうも駅員の様子がおかしいのです


しきりに手のひらを下に向け アピールしている


そう それは「ここで待て」と言っている動きだった


私が理解し うなずくと 駅員は安心した表情で闇の中に小走りで消えて行き


しばらくすると電気が点灯しだしたのです










うちのとらまる



そして駅員は誇らしげに さあどうぞといわんばかりの表情で撮影を促した


せっかくだから駅員さんも一緒に撮影










うちのとらまる



路線図









うちのとらまる



人が少し増えてきました









うちのとらまる




はいー 笑ってー


・・・・・・・・・・


ゼスチャーなどで一生懸命訴えたけど笑ってもらえませんでした


マニュアルには笑顔は載っていないのだろう きっと


笑わないだけで 責任感の強そうないい感じの女性だったんだけどね










うちのとらまる



撮影している間に何本かの電車が来ていた


本数はわりとあるように感じました



そのうち電車に乗ってみたくなり


我慢できずに乗ってしまいました


切符・・・


ない


ていうか 売り場ってあったっけ?


改札もよくわからない



でも乗ってしまった


後払いでなんとかなるかって感じ









うちのとらまる



乗ってしまった




この写真も勇気を出して撮った1枚


車内で写真なんか撮る人はいないだろうから



でもこの写真のおかげで 結構な数の乗客がいて


作業着 背広を着た男性(通勤っぽいですね)が いて


赤ちゃんをおんぶしたお母さんもいたことが分かりました


乗客たちは平壌で暮らしていること自体 特権階級の人たちなのでしょうが


その中でも庶民的な人々が地下鉄を利用しているのかな と思いました









うちのとらまる



帰れなくなると恐ろしいので


地下鉄に乗ったのは都心方向に向けてひと駅だけ



この駅のシャンデリアは消されていました











うちのとらまる




急いでホテルに帰らないと


帰りは歩いて帰ろうと思いました




あ そうそう


結局 お金を払うところはどこにもありませんでした


無賃乗車してしまった・・・













うちのとらまる




ホテルに帰る道すがら


生活臭のあるものを撮影しようと思いました





どこにいたのか 地上では背広の人間が待ち構えていて


今度は二人に増えていました


ここでも お年寄りを撮影しようとしたら 家の影に誘導して隠してしまうのです


気味が悪いですよ ホント



いや 今考えてみると ずっといたのでしょうね


自分では脱走した気分になっていましたが


最初から監視されていたのでしょう



日本の政府の一団と来ていたから 騒ぎにはならなかっただけ


これが個人で来ていたのだったら・・・行方不明になってたかもですね





でもホテルに帰って ガイドにはえらい怒られました


「そういう勝手な行動をするなら もうどこにも行かせませんよ!」


ちょっと怖かった・・・



ごめんなさいごめんなさいと謝り倒したので なんとか許してもらえました





ですので さらに取材は続きます(笑)











うちのとらまる
ご存知 首領様バッジ

おみやげに売ってたけど だーれが買うもんか









ちょっと間があいてしまいました今回の写真はエリートの子供たちを養成する場所ここです建物の正面には銅像の偉大なる首領さまが 微笑んで子供たちと一緒にいますこの首領さま どこにでもいるから結構気持ち悪いです平壌にあるこの立派な宮殿には クラブ活動や各研究室の ... 続きを読む


ちょっと間があいてしまいました



今回の写真はエリートの子供たちを養成する場所





うちのとらまる



ここです




建物の正面には銅像の偉大なる首領さまが 微笑んで子供たちと一緒にいます


この首領さま どこにでもいるから結構気持ち悪いです



平壌にあるこの立派な宮殿には クラブ活動や各研究室のための部屋が約500室あるようですが


中は出来てないんじゃないの? なんて思ったり(笑)


まあ建築が1963年だからそれはないか


それで出来ていなければ大笑いですね




案内人は自慢げに どうだすごいだろ とばかりに私たちプレスを館内に案内してくれました





確か初めに案内されたのが


プール






うちのとらまる



ざざーん


私たちがプールサイドに立つタイミングで


飛込みが始ります




うーん なんか違和感を感じました


私たちが練習しているところを見てるのではなくて


見させられている? そういう違和感ですね





うちのとらまる


そしてこの後も すべて私たちにあわせて 行動が始るのです












うちのとらまる


ほうほう












うちのとらまる



なんとねー











うちのとらまる



へぇー










うちのとらまる



うーん 素晴らしい









うちのとらまる



こんなことまで!











うちのとらまる



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・









うん 素晴らしい


素晴らしいのですよ みんな



でもどの部屋を見ても 子供たちの意思が見えてこない


客が来たらこうしなさい と 命令されている感じ



そして 


笑顔までが作られているように見えるのです


彼らは楽しくって笑っているのではないと思うのです











うちのとらまる


朝の集団登校風景


唄いながら行進します


これはゲリラ的に撮ったものですから


普段から唄いながら登校しているのでしょう













うちのとらまる

国を作るのは君たちだ 頑張って欲しい








宿泊したホテルのパンフレットを発見しましたカメラマンが人の写真に頼るのも どうかと思いましたがすごく分かり易い写真ですので是非見てください空に向かってそびえ建つホテルそして・・・・・とにかく回転するレストラン(笑)私がした手すりに腕をのせるという 同じポ ... 続きを読む



宿泊したホテルのパンフレットを発見しました



カメラマンが人の写真に頼るのも どうかと思いましたが


すごく分かり易い写真ですので是非見てください







うちのとらまる



空に向かってそびえ建つホテル









そして・・・・・

















うちのとらまる





とにかく回転するレストラン(笑)



私がした手すりに腕をのせるという 同じポーズを右端のおじさんはしています


その腕は どんどん離れていっているに違いありません(笑)













うちのとらまる

回るよ 回る~♪



















北鮮のことを思い出していたら腹が立ってきた腹が立ったら もっと昔に腹が立ったことを思い出しその腹が立つ写真を探し出した写真を見つけ出すのは たいそう骨が折れたしかも苦労して見つけ出したわりには たいしたことない写真だったおかげさまで大掃除が出来ました あ ... 続きを読む


北鮮のことを思い出していたら腹が立ってきた




腹が立ったら 


もっと昔に腹が立ったことを思い出し


その腹が立つ写真を探し出した




写真を見つけ出すのは たいそう骨が折れた


しかも苦労して見つけ出したわりには たいしたことない写真だった


おかげさまで大掃除が出来ました ありがとうございます





駆け出しのカメラマンの頃


1年半くらいパパラッチをしていました


時期は 元コメディアンで今は世界的有名な映画監督が


写真誌編集部に子分を連れて襲撃した頃でした



張り込みや追っかけなどの毎日でしたが


たまに出動がない日でも 私は六本木などに繰り出し


垂れ込み電話が入ってもすぐ動けるようにとか 


滅多にはありませんが 路上でタレントに遭遇することもあるために


パトロールをしていたのです 





そして夜中の外苑東通りを歩いていた時・・・


急に道の反対側でTVライトが煌々と照らされ 騒然としだした


数秒間 様子を眺めて確認を取ってみると


どうも誰かにTVカメラが追いすがっている感じ


何かのロケだったりすると乱入したらとんでもないことになる


しかし雰囲気はそんな感じではない


撮影されるのを嫌がり逃げる誰かを 追いかけるTVカメラとリポーターの図である


野次馬も何人かいて 一緒に追いかけているようだ



これはひょっとすると とってもオイシイ場面に出くわしたのではないか


ラッキーと心のなかでつぶやき 車にひかれそうになりながら


道を横断し カメラを出して騒然としている渦中に突っ込んだ







うちのとらまる


とりあえずTVカメラが撮影している人を撮ってみる



だれ この人




いったい誰なのか判らないーーー



私が知らないだけか?


知らないということが私にブレーキをかけさせた



ちょっと立ち止まって悩んでいると


今度は少し離れたところで



「ひばりさん! 何しているんですかここで!」



お?



さらに


「小林さん! 小林旭さんですよね!?」



おお!?



「お二人は復縁したのですか!?」


リポーターが叫んでいる




なんだと? ひばりと小林旭って確か元夫婦で 今は離婚しているはずだよな・・・


こ これは大スクープではないか!



慌てて私は二人に向かって突入した


カメラや野次馬に揉まれながら撮影した写真がこれだ













うちのとらまる


やった撮れた!


逃げる ひばりと旭








・・・・・・・・・・・・・・








二人とも若い・・・


なんか変な感じがした







しかもこの写真を撮影した直後 二人はロケバスに乗り込んだのである


あれほどにぎやかだった野次馬たちやTVのクルーたちも あっというまにいなくなってしまった



なんかひとりぽつんと取り残された感じ・・・




会社に戻って ひばりと旭を撮影したといっても誰も信じてもらえなかった


フィルムを現像してみても何か違うということで写真はお蔵入り




数日たち あるドッキリのTV番組を観ていたら ひばりと旭が出ていた


そこに私も出ていて(カメラで顔は隠れていた) 


テロップに「写真誌のフラッシュかな?」の文字




くそーう 許さんぞ日テレ


よくもよくもコケにしてくれたなーーーーーーー!(笑)










うちのとらまる

旭? 旭なの?






今回は北朝鮮です90年代のお話ですラッキーなことに政府の訪問団に上手く潜り込んで行けたのです北朝鮮ってどんな国だった?日本に戻ってきて何人もの人に聞かれましたそのたびに返した言葉が「とってもイライラして腹立たしくって笑える国だったよ」そういう国でした発表 ... 続きを読む



今回は北朝鮮です




90年代のお話です


ラッキーなことに政府の訪問団に上手く潜り込んで行けたのです




北朝鮮ってどんな国だった?


日本に戻ってきて何人もの人に聞かれました


そのたびに返した言葉が



「とってもイライラして腹立たしくって笑える国だったよ」



そういう国でした




発表した記事には いろいろなしがらみなどがあって 


当たり障りのないことしか書けませんでしたが


ブログでは書きたいこと書いてスッキリしたいと思います


普段は温厚なもうーすが 今回はちょっと過激です(笑)







注) 私は この国の一般の方々をバカにするつもりは毛頭ありません 


しかし この国の制度というか方向性は たった1週間いただけですが


かなり変でアホらしいものでした ですので 文章はこの国をバカにしたような


内容になっています 気分を害される方は写真だけをお楽しみくださいね







うちのとらまる


主体思想塔


偉大なる首領さま(金日成)の70歳の誕生日を記念して1982年に建立 


170mあり 世界で最も高い「石塔」らしい




この後にも記してゆきますが この国は「世界一」や「どこよりも凄い」というのに拘る国なのです


まあどこの国でもそうなのでしょうが・・・・ 


一生懸命なのは分かるけど そっちに行かんでも もっと他にやることあるでしょ!?


って 感じなんですね




取材は団体行動 (日本のメディア TV 新聞 通信社 など)


雑誌と夕刊紙のカメラマンは私だけでした


何でメンバーに入れたんだろ?(笑) 


ウソです 私をメンバーに入れるために尽力していただいた方のおかげです


でも5誌掛け持ちで撮影とデータ取りしなければいけなかったのでチョー大変でした 




取材のスケジュールは 政府の案内人がずっとくっついて お決まりのコースを案内するというもの


この頃までは あまり単独行動で取材したという話は聞きませんでした


現在も多分まだダメなんだと思いますが どうなんでしょうね










うちのとらまる


その石塔の150mの位置に展望出来る場所がありました


とりあえず登っておかないと


正面に 人民大学習堂









うちのとらまる


主体思想が いかに世界各国で認められたかを延々と日本語で説明する 担当の日本人妻(推測)


このプレート群は思想を認めた団体や個人の名前が記されています


私は ふーんあっそ立派なんだ・・・って感じで聞いていました


主体思想が どういう思想なのかは検索すればすぐ出てきます


お国は民主主義国家らしいですが 矛盾のある笑える思想ですね


誰もこの国をフルネームなんかで呼ばないでしょう


北朝鮮で十分









うちのとらまる


当時完成すれば世界一高いホテルになるはずでした


しかし地盤の問題や構造上の問題で完成できず 


1992年からほったらかしになっていた史上最大の廃墟 柳京ホテル


なーにやってんだよ しっかり調べろよ まったく・・・


どれだけのお金が無駄になってるんだよ



ただし2008年より工事が再開されたようです


そんなに客も来ないでしょ? 誰が宿泊するの?


元も取れないだろうにさ


それよりも地盤とかの問題はクリアできたの?


絶対宿泊したくないですね








うちのとらまる
主体思想塔 遠景








うちのとらまる


これは・・・・



どこかで見たことのある形


そう その名も 「凱旋門」


これも偉大なる首領さま70歳の お誕生日に合わせて建立


ちなみに パリの凱旋門より10m高いらしい(笑)


すごいねって言って欲しいのかな


上の塔もそうだけど この国は何なんだよ 


国家元首のお誕生日ごときでこんなもの作るのか


というか いったい誰が凱旋したんだよ(笑)









うちのとらまる



「危ないですよ」


道路に出て写真を撮る私にガイド(お目付け役)が注意してくれた


何のことかと思いきや 車が来るかららしい



いや あんまり走ってないし(笑)









うちのとらまる

高麗ホテルからの眺め





宿泊したのは お国では最上級の高麗ホテル


写真撮ったのだけど フィルムが一部見つからない・・・



最上階に回転レストランがある45階建てのツインタワーで出来ています


このホテルも笑わせてくれました



まず客室


確か 宿泊した階はかなり上のほうだった


エレベーターは途中に止まらないようになっていたのが不思議だったので


階段でホテル内を探検したら 途中の階の客室はほとんどが完成していなかった


普通 こんな状態で開業せんでしょう


この分だとツインタワーの もうひとつのほうは


何も出来ていなかったのではと思っています



もっと可笑しかったのが最上階の回転レストラン


円形になっていて床が自動でゆっくり回転するので景色を楽しめるらしい


私は夕食をそこで食べることにした


もう外は暗くなり 窓の外には平壌の夜景が広がる・・・


と思ったら 夜景といえば夜景なのだが 真っ暗


ほとんど灯かりらしい灯りはないのである


上の写真でも分かるように ホテルの周りには高層ビルなどが建っている


住居用っぽいのだが 部屋に灯かりがほとんどついていない


これは住んでいないな・・・ そう思った


当時北朝鮮は慢性的な電力不足と聞いたが 灯かりなしで住めないだろうに・・・


誰かがハリボテ国家と書いていた気がするが まさにそうだと思った



で 話は回転レストランである


おお 動いている


何か動いているということは分かる


景色を見る 


というか 見てもほとんど暗闇なのだが 


とにかく小さい灯かりでも見つけて それを凝視してみる



その灯かりは動かない 景色は変わっていない気がするのだ


しかししかし 何かは動いている感じがする


何なんだ この変な感じ



私は窓の手すりに肘をかけた


!?


肘が持っていかれる?


体は残ったままだ




これは 窓が動いているのだ!


わはは 窓枠だけが動いてるよ!


フロアが動かなければ意味がないでしょ


意味分からん (笑)




今はフロアも回っているのかな・・・


知りたいです







うちのとらまる

朝の通勤風景



この国はこういう国だったのです


国民を餓死させても 大理石の塔や門を作るほうが大事だという国


外側を飾ることはなんとか出来るのだけど 中身がスカスカで追いつかない


ちょっと調べりゃ すぐにバレるウソをつく


まったく腹立たしい国です






どないなっとるんじゃー と続きます






うちのとらまる

うふふふ あははは 偉大なる首領さまと将軍さまだよ






ちょっと間が空いてしまいました私がアフガンを強制退去になり インドの空港で荷物もどこかに行ってしまい航空会社とすったもんだしながらやっと日本に帰ってきて成田空港から直接所属する編集プロダクションに顔を出した時ですたしか夕方の5時とか そんな時間だったと思い ... 続きを読む

ちょっと間が空いてしまいました




私がアフガンを強制退去になり 


インドの空港で荷物もどこかに行ってしまい


航空会社とすったもんだしながら


やっと日本に帰ってきて


成田空港から直接所属する編集プロダクションに顔を出した時です


たしか夕方の5時とか そんな時間だったと思います



私の直接の上司にあたる人が 帰ってきた私の顔を見るや否や



「夜 時間あるか?」


へ? いつのでっか?


「今晩やがな」



この上司は体は小さい方ですが 迫力は私の5倍くらいある人


しかも関西出身で関西弁です


私も一応関西人なので この上司との会話はすべて関西弁で行っていました



「撮影があるんや 六本木行ってくれるか」


今晩って わては今帰ってきたばかりなんですけど・・・


「他にカメラマンがおらんのや」





うちのとらまる



編プロには当時カメラマンが私を含めて3人いたのですが


他の二人は夜のお仕事(いろいろあったのです)があり 出払うらしい


社員カメラマンであった私は上司の命令に背くことなどできない



へいへい 分かりましたよ 行きますよ 行けばいいんでっしゃろ?


で 何を撮るんでっか?


「パンチラ」


はーーーあ?


「ディスコのお立ち台で踊り狂っている女性のパンチラ撮ってきて」



この頃 バブル時代の真っ只中


ディスコ全盛期でした


パンチラ撮影は そのバブリー六本木特集のカットのひとつで


どうしても外せないものらしい(笑)





うちのとらまる


この日から私の仕事は この特集のために六本木を徘徊する事になります


人物写真やパンチラ写真は掲載できないので勘弁して頂きたく存じます(笑)





「いやーん」


「やめてよー」



お立ち台で踊る女の子が私に向かって叫ぶ (音楽がうるさいので叫ばないと聞こえない)


んなこと言ったって もう見えてるやんかー!


今さら何を言うとるんじゃーーーー!


ちょちょちょっと! 顔は写さないから! お願い! 撮らせてっ!



ある子は撮らせてくれ ある子には断られ またある子にはハイヒールで蹴られそうになりながら


私はアフガンのこともすっかり忘れ (笑) パンチラ写真にのみ集中していたのでした


そう パンチラ写真の鬼と化していたのです げへへ



あんなにも堂々と 女性のスカートの中を撮影したのは


後にも先にもただ一度きりでしょうね


あ コッソリも撮っていませんからね!








うちのとらまる


六本木交差点








うちのとらまる


外苑東通り






うちのとらまる



うちのとらまる




うちのとらまる



うちのとらまる


これはこれで燃える 楽しいお仕事ではありました


お店の取材やお店に来る人間たち 夜の六本木の空撮など たくさんの撮影をしました



しかし今思い返してみるとパンチラのことしか思い出せないでいます


パンチラ写真を撮り終えたところで 私は妙な満足感を覚え


その後の写真はどうでも良くなっていたのです (ちょっとだけウソ)









ある日 初めての紛争地域取材を終えて思ったこと


というか 打ちのめされたことがありました




4月25日の記事 で私はトラック爆弾テロの現場写真を撮りました


報道写真という写真の評価は何種類かあると思いますが


大きく分けて2つになると思っています


○誰も撮っていない貴重な写真 

(とにかく誰も撮っていないものだから写りがどうあれ価値があります)


○写真の中にその出来事が直接的でも間接的でも表現されていて芸術として完成している写真

(著名な報道カメラマンの方々が撮っておられますね)


まあ一番いいのは上の二つの要素が入っている写真なのでしょう



私はとりあえず他のカメラマンが持っていない写真を撮影して持っていたわけです


しかし その写真は一枚も売れませんでしたし掲載してもらう雑誌もありませんでした


なぜかというと 


つまらない写真だったから



もうがっかりです


もちろん いい写真とは自分でも思っていませんでしたよ


それでも頑張って撮ったのに 頑張ってフィルムを持って帰ってきたのに


なんてブツブツ思っていたのです



ある日 アフガンに行っている期間のストックしておいて貰った新聞を読み返していて


新聞に掲載された写真を見て そのボヤキが吹っ飛んだのです


ああコピーを残しておけば良かった


お見せできないのが残念です





トラック爆弾テロ事件があった翌日に記者会見がありました



うちのとらまる



死傷者の数 犯行グループの発表やトラックはパキスタンナンバーだったなど


事件の詳細が発表され その後 記者たちに現場を開放したわけです


拘束された私とUPIの人間は 仲間に入れてもらえずホテルでお留守番でした


現場は1日以上経っていて もう目新しいものは残っていないはず


なんて思っていたのです



新聞に掲載されていたのは 多分その時に撮影された写真でした


現場のバスターミナルの向い側にビルが建っていて


ビルの窓ガラスは粉々に割れていました


その割れた窓から とても心配そうに覗く女性看護士と医師の写真



うちのとらまる

写真の右側に建っているビルの窓です



看護士と医師の表情が 本当に不安そうだったのを覚えています


私は打ちのめされました


そして報道写真というのは これでなければいけない と思ったのです


いくら現場に早く着いたってダメなんです


しっかり読者に伝わる写真を撮らないとダメなんです!




そして年月は経ちますが


未だに納得の行く写真は撮れないでいます


何とか死ぬまでに やった! という写真が撮りたいものですねぇ・・・






うちのとらまる


私が打ちのめされた写真の撮影者


この人も確かUPIの人だったと思います


中国系アメリカ人でした


私が撮影しているところに 前に出来てたので写りこんでしまいました





ところでインドでなくなった荷物は 見事に返ってまいりました


1ヵ月後に・・・


鍵は壊され中身は引っ掻き回されていました


あまり大事なものは入れていませんでしたが 


バッテリー関係 未撮のフィルムなどは 無くなっていました





アフガニスタン編 終了です


次は北朝鮮編の予定です









うちのとらまる

平和になったらまた行きたいところです










2日目日本のメディアの方々は初めての紛争地域に来た 私のようなどこの馬の骨か分からないものにも対等に接してくださっていました私にとって彼らは 神さまみたいな存在で憧れの対象でしたNHKのO氏などは 7ヶ国語を操り アフガン政府の役人っぽい人にロシア語で  ... 続きを読む


2日目





うちのとらまる





日本のメディアの方々は


初めての紛争地域に来た 私のようなどこの馬の骨か分からないものにも


対等に接してくださっていました


私にとって彼らは 神さまみたいな存在で憧れの対象でした




NHKのO氏などは 7ヶ国語を操り アフガン政府の役人っぽい人に


ロシア語で 「君はKGBだろ」 なんて恐ろしいことを聞いていたりしていました


相手が誰であろうと態度を変えることなく 毅然とした態度で取材をされていた


この方は 今回のアフガニスタン取材の少し前 


当時鎖国状態で どこのメディアも取材できなかったアルバニアの取材をされ 


その貴重なビデオは世界中のTV局が欲しがり 買ったと聞きます


現在はポーランドのワルシャワをベースに テレビ○日のロンドン支局長をされているようです


ニュースステーションでリポートをされてるところを何回か見たことがあります





S新聞モスクワ支局長のS氏 この方は大変気さくな方で 


何も分からない私を気にかけてくださいましたし


S新聞用の写真を撮る代わりに ソ連兵の取材に同行させていただいたりもしました


翌年S氏は 優れた国際報道を行ったものに送られる


「ボーン上田 国際記者賞」を受賞されました







今までアフガニスタン軍の写真は撮ってきましたが


肝心の撤退するというソ連軍の写真は 航空機を除いて殆どありませんでした


街中ではチラホラとソ連の兵士や装甲車は見かけるのですが


アフガンの私担当のお役人は 撮影はするなとのことでした



するなと言われると したくなるのがカメラマンの性


そんなに数はありませんが こっそり何カットかは撮影できました





うちのとらまる




バタバタバタバタ


ソ連製の戦闘ヘリコプターです


さすがにこのアングルはビビリます


カメラを構えるというのは 銃を構えるのにも似ています


隠れるとさらに怪しいので 堂々と撮影しました






うちのとらまる



ホテルの窓からこっそり撮影





うちのとらまる



客室の窓から狙いましたが


その部屋は私の部屋ではありませんでした


誰の部屋かといいますと


現地で知り合った日本人商社マン! のお部屋にお邪魔させてもらったのです


「もう帰りたいんですよ~」 と泣きが入っていました(笑)


いったい何の商売をしているのかを聞きましたら


いろいろあるそうでしたが 一番は魔法瓶をこちらで売っているようでした


こちらでは お茶(チャイ)を飲む習慣があるので魔法瓶は結構売れるといってました


そしてアフガニスタンからは絨毯などを買っていました



ちなみに バザールに行くとソ連から闇で流れてきたキャビアのカンヅメがあったのですが


日本円で350円くらいでした


いくつか買って帰って知り合いのカフェバーの店長に仕入れ値を聞いてみたら


たまたま同じ銘柄で 1800円! 


いっぱい買って帰っていれば 一儲けできたでしょうね(笑)








うちのとらまる








うちのとらまる



S新聞のS氏が ロシア語で若い兵士に声をかけている隙に 隠し撮り







うちのとらまる



2日目終了










そして3日目の朝が来ます


私は朝の食事を終えて 部屋で機材の準備していました


トントン


ドアをノックする音


はーい と元気良くドアを開けたら





うちのとらまる



私担当の政府のお役人と


そしてもう一人背広を着た人間


さらに兵士2人(警察かも) が立っていた




何かまずいことになっているような雰囲気・・・


「あなたは今日出国してください」


「昼に迎えに来ますから 荷物をまとめておくように」


「ビザが切れました」


みたいなことを言っている


ちょちょーい!


なんでか理由を聞くと


「お前は今回 来れるはずではなかった」  らしい


どうにも---ならない らしい



くすんくすん泣きながら荷物をまとめ


他のプレスの方々に こんな事いわれたと云いつけに行ったら


「あーそりゃしょうがないわ」


「前回 捕まったもんね」


誰も抗議してやろうという人はおらんのか?


まあ正直この大事なときに


私なんかにかかわっている場合ではないのは 私もよく分かります



しょうがない・・・



あきらめて部屋に戻ろうとしたとき



「ああ もうーすくん」


A新聞 T氏が声をかけてくださった


はいはい何ですか!? 何かいいアイデアでも?


T氏に懐いて近寄る


「前回は武士の情けでしなかったけど 今回は記事にさせてもらうよ」



だと




冷たいのね 皆・・・


とほほー





私は 結局一番撮りたかったソ連軍の撤退の撮影は出来ずに放り出されるはめに


お昼


私担当のあんにゃろめは兵士を引き連れて 私を迎えにきた


ごていねいに空港までついて来て


さらに飛行機の中にまで一緒に入ってきて


私を席に着かせシートベルトをつけさせ


そして安心したように帰って行った



座った席のお隣は


ちょうど撮影したビデオテープをインドにに持ち出そうとしていたNHKのO氏


「残念だったね」


と一言声をかけてくださったあと


お隣の フランス人マドモアゼルジャーナリストと


フランス語で楽しそうにお話をされていました


聞き耳を立ていたら ウィ だけ解りました・・・



これで私のアフガニスタン取材旅行は 二泊三日で終わってしまったのです




この後 インドのニューデリーに到着してから また散々な目に遭います


カブールで預けた荷物はパキスタンに行ってしまうし


安物航空チケットだったから便の変更をするのが空港内でできないというので


空港の外の事務所で 子犬の目作戦を使い 何とか無料で予約変更をしてもらって


喜び勇んで空港に帰ってきたら 


出発の1時間半前まで空港内には入れないと言われ閉め出され


何度お願いしても絶対だめだといわれ


気温44度の外で日陰でゴロゴロ寝ている人たちと一緒に寝て


我慢できなくなって空港職員の兄ちゃんに袖の下を(500円くらいだった)渡し


さらにバーでコーラをおごってやったら簡単に中に入れてもらえ


6時間くらい空港の中で飛行機を待ち




やっとの思いで日本に帰ってきて



次の日の朝刊を見たら





うちのとらまる







おわり









次回 番外編があります


タイトル 「アフガニスタン→六本木」








うちのとらまる

なんだかなあ・・・









うふふあはは私は精一杯の 愛想を振りまいていました場所は在日アフガニスタン大使館の一室当時 大使館は神宮前4丁目交差点の角ビルの中にあったのですラフォーレ原宿のある交差点ですね「いやホントに向こうでは皆さんに良くしていただきましたよ」「これから良い国にな ... 続きを読む


うふふ


あはは




私は精一杯の 愛想を振りまいていました


場所は在日アフガニスタン大使館の一室


当時 大使館は神宮前4丁目交差点の角ビルの中にあったのです


ラフォーレ原宿のある交差点ですね




「いやホントに向こうでは皆さんに良くしていただきましたよ」


「これから良い国になっていく気がしています」


などと大使館員のお話に 適当に合わせて話ししていました




口が裂けても向こうで拘束されました なんて言えないし


必死で持って帰ってきた現場の写真も発表せずにいましたし




それもこれも再訪するためのビザが欲しかったから・・・




次のアフガン行きは 前回よりも重要でした


なんせアフガニスタンに10年間侵攻していたソ連軍が


ゲリラの抵抗に負けを認め撤退するという


歴史的瞬間に立ち会えるのです


私はこれを逃すものかと 必死に愛想笑いをしていました




笑ってビザをもらえるなら苦労はしませんが・・・


もらえたのです(笑)






そしてまたまた友好協会の名刺を持って (相変わらずこれしかない(笑)) 


やってきましたアフガニスタン





うちのとらまる


期待と不安の入り混じった 何とも言えない気持ちで


カブール空港に降り立ちます








うちのとらまる



ロシアの対地攻撃機が世話しなく飛んでいました




うちのとらまる


着陸態勢に入る攻撃機








うちのとらまる


フレアーを撒き散らしながら 飛行するロシア製輸送機



ご存知かもしれませんが これは赤外線追尾ミサイル(熱源追尾)から


機体を守るために おとりの熱源(フレアー)を放出しているのです







うちのとらまる


盛大に撒いてます


離陸する時 着陸する時が スピードも落ち狙われやすいので気をつけていますね







ソ連の撤退は数ヶ月に渡って行われ


完全に撤退完了したのが この時から約1年後


その第一陣が5日後にある予定でした



私はそれまでの間は大人しくしておこうと思い


アフガン政府が喜ぶ場所を撮影して回りました



たとえば ゲリラから押収した武器を展示してある建物なんかは


とても喜んでもらいました


その中にあったのが





うちのとらまる


アメリカ製 携帯型 赤外線地対空ミサイル スティンガーです


ソ連が撤退したのは これのせいと言っても過言ではないと思います



ゲリラたちは物量に勝るソ連軍相手に神出鬼没のゲリラ戦を挑んでいましたが


空からの攻撃には身を守る術を持ちませんでした


アメリカがこのミサイルを こっそりゲリラに供与したおかげで


ソ連は空軍力を制限されるようになったようです


どれだけビビっていたかはフレアーの写真で分かると思います



「わたしたちの聖地に 殺人と流血をもたらしたレーガン大統領からの贈り物」


みたいなことが書いてあります






うちのとらまる


これはひどい


おもちゃの中に仕込んである対人地雷です


政府はゲリラが使用したということで展示したのでしょう


犠牲者の子供の写真も ごていねいに置いてあります


真実は・・・どうなんでしょうねえ・・・








うちのとらまる

墓地の撮影にも行きました






うちのとらまる


もの悲しい風景でした・・・




そして1日目が終わります









私は前回から学んだことがあります


それは服装です


前回の服装はTシャツとかカッターシャツとかジージャンでした


はっきり言って


ただの兄ちゃんでした



そんな格好で 「オレはプレスだ」 と言っても信じてはくれないでしょう


私以外の皆が持っているプレスカードも無い


そんな私が頭をフル回転させてあみ出した必殺ファッション









うちのとらまる



カメラマンベスト 7500円 



これで私もカメラマン



どうみてもプレスです



です







ですか・・・?








続く









うちのとらまる

もう少しの辛抱ですよ! 次くらいに唐突に終了しますから! (笑)













今回はちょっと文章が多く だらだらと長くなっております どうかお許しください予定の10日間のうちの3分の2を消化してカブールにも少し慣れてきた頃街に出れば穏やかな人々が一生懸命に生きているその姿に嬉しくなり さらにシャッターを切ってゆきますしかしそれは上辺だ ... 続きを読む

今回はちょっと文章が多く だらだらと長くなっております 

どうかお許しください







予定の10日間のうちの3分の2を消化して


カブールにも少し慣れてきた頃





うちのとらまる





街に出れば穏やかな人々が一生懸命に生きている


その姿に嬉しくなり さらにシャッターを切ってゆきます



しかしそれは上辺だけの姿でした


他国や他部族の支配を許さないアフガンの人々は 


ソ連が侵攻する はるか昔 イギリスでさえも撃退しています


現在はアメリカを主とした国際部隊と戦っている


この国は というか この地域はそういうところなのです







うちのとらまる




前回 公園で拘束される前にどこのメディアか忘れてしまいましたが


フランス人のジャーナリストが 当時 もう半年も拘束されていたのです


(観光ビザで取材活動を行った罪=スパイ容疑で逮捕)


その彼を釈放させるために 各国メディアがホテル内で署名運動を行っていて


私も協力していたのでした


そういう危うい場所であることは 頭では分かってはいるのですが


一見平和なカブールに惑わされてしまっていました





私はホテルの食堂で他の取材陣の人たちと一緒に昼食をとっていました


午後は政府案内の取材地巡りを控えていて


ほとんどのメディアはホテルにいたのではないかと思います


まだ時間に余裕があったので


カメラバッグはホテルの部屋に置いたまま (カメラマン失格ですな)


しかし1mmほどのカメラマン魂が残っていて


コンパクトカメラ (ニコンの防水コンパクトカメラ)は


胸ポケットにいつも入っていました


コンパクトカメラですから写りはたいしたことはないのですが


防水であり衝撃に強いタイプでしたので丈夫なカメラだったのです 



アフガニスタンは乾燥していて 砂埃がすごいのです


一眼レフカメラはかろうじて故障は免れましたが


他に持っていたコンパクトながら写りが良いミノルタのCLEというカメラは


3日ともたずに故障していました


その点 防水コンパクトカメラはフィルム交換時さえ気をつければ怖いものなしでした






「ドスン!」






皆が食事をしているときです


文字で表現するとドスンしかないです


床が揺れました


この出来事で のんびりとした昼食の雰囲気が一瞬で変わりました


皆あわてて機材を用意しだしています


TVはすぐに動けないので大変です


とにかく何が起こったのかは外に出ないと分かりません


私は身ひとつでしたから すぐに対応できました


席を立ち ダッシュでホテル裏門を通り 路上に飛び出しました



500mくらい離れたところでしょうか黒煙がもくもくと上がっています


後ろを振り返ると さらに2名のスチールカメラマンが来ていました


その後ろでは兵士がホテルの門を閉めてしまい


他のメディアたちが閉じ込められていました





うちのとらまる

ホテルの裏門 (別の日に撮影)





ホテルから出られたのは 通信社のUPIとAFP そして私の3人だけ


タクシーか何かないか あたりを3人で見渡しましたが


残念ながら見当たらなかったので とにかく現場に向かって走り始めました



2、300m走ったところで 一番年配(40歳くらいだったか)のAFPカメラマンが


息切れで走れなくなりました


一度皆走るのを止めたのですが 先に行ってくれと言うので


UPIカメラマンと2人でさらに走りだしました



現場まであと100mくらいまで来た時に 今度はUPIカメラマンがへばりました


そして彼も 先に行ってくれと言い出しました



一瞬 「これはオイシイ」 「私だけの写真が撮れる」 「スクープじゃん」 と


脳裏をよぎりました  が  すぐに打ち消しました


スクープなんかよりも身の安全が最優先 (ここが三流)


いくら平和ボケした私でも こういう状況での単独行動はとても危険だということは知っていました


何かあったとしても目撃者がいて しかもそれがジャーナリストであることは


かなりの抑止力になり得ます


とまあ こんなこと書いてますが 要はひとりで現場に行くのが怖かったのです(笑)



「カメラバッグ持つよ!」 私は手ぶらだったし まだ元気があったので


彼のバッグを奪い取って また二人で走り出しました



そしていよいよ現場に到着



爆発から10数分経っていた現場は兵士たちが集まっていて


その現場を封鎖しようとしている時でした


ありがたいことに なぜか私たちが到着したエリアは兵士たちがいませんでした





私はカメラバッグをUPIカメラマンに返し 数枚シャッターを切りました











うちのとらまる




何枚かシャッターを切ってから 何が起こっているのかを肉眼で確認


負傷者でしょうか 全く動かない人間が最低6人は運び出されていました


隣にいるUPIカメラマンとも顔を見合わせ お互い「6人」を確認しました




そして次の行動に出るのですが


正直 現場のど真ん中に突入するのは なんとなくヤバイ気がして


私は上の写真右に写っているバスの裏から攻めようと思い移動し始めました






うちのとらまる



中途半端に写真を撮っています


移動か撮影かはっきりしろって感じですが


一場所に留まるということが何となく危ない気がしていたのでした




この後UPIカメラマンがどういう動きをしたかは分かりません


まっすぐ突入したのか左側から回り込んだのか・・・・





うちのとらまる








無事にバスの横に回りこむことができ








うちのとらまる


この一枚を撮った後 さらに前進し


バスの先頭部分に差し掛かって カメラを構えた時






誰かが私の背中を すごい勢いで突き飛ばしました


私はつんのめって2、3m前進しながら 思わずシャッターを切ってしまいました




うちのとらまる

その時の写真がこれ



もう本当にビックリして心臓が喉元まで出てました




コッソリいたずらをしていてドキドキしているところに 


後ろから大声を出され突き飛ばされたら誰しもビックリしますよね


そんな感じ (笑)    




心臓を飲み込み


後ろを振り返ると同時に2人の兵士に服をつかまれ引き倒されました 


そして腹ばいになり 背中を硬いもの (靴か銃床) で殴打されました


しばらく兵士も興奮していて 何をされるのか全く分からない状態


一人の兵士は銃口を私の背中に押し付けていたものですから


このままここで殺されるのでは と恐怖を感じ


「撃つな! 撃つな! 撃つな!」


通じるわけもないのに私は日本語で叫んでいました



あっという間の時間なのでしょうが


永遠のような気がする中


少し周りが落ち着いてきたような雰囲気になりました


服の襟をつかまれて私は引き起こされ


銃を付きつけられてカメラを持ったまま手を上げて移動


その先にはロシア製のジープ型車両がありました





うちのとらまる

同型の車両  (別の日に撮影)






後部座席を覗いてみると


そこには うなだれてぐったりとしたUPIカメラマンが既に乗せられています


顔を見ると明らかに暴行された傷跡が確認できました



後部座席には 一番奥のドア側に兵士 次にUPI そして私 


小型のジープのリヤシートは3人で満席状態


しかし私が逃げ出さないように私の後に もう一人乗り込んできました


当然シートに余裕が無いので 兵士は私のひざの上に半ケツを乗せています



ジープが走り出し 自分がいったいどうなるのか不安でしたが


私は妙に冷静になっていて 今やるべきことをやろうと思いました



そう 撮影フィルムを守ることです



幸いカメラは右手に持ったまま


その右手の位置は 私のひざに半ケツを乗せている兵士の


もう片方の半ケツの下で そこには空間があり 兵士たちからは死角になっていました


撮影していたところを見られているので もうカメラを隠すわけにはいきません


隠すならフィルムの方


そんなことが出来るのか分からないけど


何もしないでフィルムを取り上げられるのは しゃくにさわったのです


私は撮影したフィルムを隠すことに決めました



フィルムカメラはフィルムの巻き戻しという作業が必要


その巻き戻し作業を右手だけでやらなければいけないのです


巻き戻しが手動であったりしたら片手では無理


モータドライブ付の一眼レフカメラの巻き戻しは電動で出来ますが 


2アクションが必要なので無理



しかしラッキーにも持っていたコンパクトカメラはよく出来ていました 


カメラの底にある小さいボタンを押せば電動で巻き戻してくれます


(当時のコンパクトカメラはだいたい皆そうでしたが)


巻き戻しにはモーター音がしますが軍用車の騒音でかき消してくれました


巻き戻しがいつ終わったのかも分からないくらいに (笑)



ジープはまだ走っています



次はフィルムを取り出すために裏ぶたを開けなければいけません


この作業も 片手でレバーを下げるだけでパッカリ開きました


そしてフィルムをつまんで取り出したとき・・・


前の助手席に座っていた兵士が後ろを振り返っていて 


モゾモゾしている私の動きを変に思ったようで


「何やってんねん!」 みたいな事を言ってきたので


私はフィルムから手を離し 右手を上げて何もしていない事をアピールしました


「コソコソすんなよっ!」 と言ったかのかは知りませんが 何かをわめいて


兵士は また前を向いてくれました



フィルムはシートの上に放り出したから 手探りで探してみるのですが


なかなか見つかりません


動けないギュウギュウ詰めの車内で怪しまれずに探すなんて無理


手が届くところはすべて探したけど分からない


そんなことをしている間に とうとう何がしかの施設に到着してしまった



あーだめ もうだめ 私はあきらめました



ゲートで一旦停止し さらに敷地内に入っていく


広いので軍の施設と思ったけど 後から聞いた話では警察の施設だったらしい




車が止まり ドアが開き ひざの上の兵士がまず降り


反対側でもUPIのとなりの兵士が降りたようです


運転席 助手席の兵士も ほぼ同時に降りました



3秒くらいでしょうか 兵士の目が私から離れたのです


その時シートを見たら 


なんと! フィルムが落ちていたのです


とっさに私はフィルムを手に握り込みました



そしてカメラを持ち 開いている裏ぶたを閉めようと思いながら車から降りた・・・


と同時に 突然兵士からカメラを取り上げられました


ストラップを持って取り上げられたカメラの裏ぶたはパッカリ開いた状態


兵士はカメラを覗きこみ フィルムが無いことを知ります



「フィルムは?」 と手を出す兵士



えーとえーと フィルムはー・・・


フィルムを手に握り締めたまま 言葉に詰まる私


池の鯉状態で口だけパクパクしていたに違いありません





アフガンに来てカメラバッグフルセットを持って撮影をしていた時は


いつもダミーのフィルムを持ち歩いていたのです


何か問題があってフィルムをよこせと言われた時に渡すためのもの


それを使うのが今なのですが それが今無い (泣)





悪い頭をフル回転して 何とか言い逃れをしようと思うのですが


何も出てこない



その時 




横にいたUPIカメラマンが 


「現場で兵士に取られたんだ」


と言い出しました


私は急に話し出した彼にぎょっとしましたが


すぐにコメツキバッタのように頷き



「はいはい! そうでっせ! 爆弾 現場 フィルム 兵士 持って行った!」



あらん限りの知っている単語を並べ立て 兵士に訴えました


実際UPIは現場でフィルムを没収されたのだろう


彼の話は理にかなっていた


考えてみれば とっ捕まった時の兵士は現場に残ったままで


ここにきた兵士は ジープに乗せられる時からしか知らない別の人間だ




私はそれで押し通すことにしました


フィルムを握り締めたまま (泣笑)


身体検査されたらオシマイの 浅はかな行為だったけど


なぜかまだ諦めないでいたのです






うちのとらまる

再現してみました 私 手がでかいので結構隠れていたのですね






こりゃまたラッキーなことに すぐには身体検査はしませんでした


先頭は兵士 次にUPI その次が私で 後ろに兵士


一列で歩いて建物の中に入ってゆきます


とにかく手に持っているフィルムをなんとかしなければいけません


ジャンケンをさせられてもグーしか出せないのです


手の甲を上にすれば かろうじてチョキは出せるかもしれませんが不自然さでバレます


私は何を心配しているのか もう半泣き状態になってきました


建物の中に入り廊下を歩いています


ポケットに入れたってすぐにバレるし ぐるぐる考えた挙句・・・


歩きながらシャツをジーンズの中に入れなおす振りをして


ちょうどベルトバックルの裏側に入れることが出来ました


やった!


ようやく手が解放されたのです


でも服を脱がされたら一巻の終わりの幼稚な隠し場所


ひょっとするとずっと手に持ってたほうが


良かったんじゃないかと思ったりしながら・・・部屋に入りました


すぐに身体検査が始ります 


なんとラッキー この検査は拳銃など武器の所持をチェックする程度の検査でした


ズボンを脱がされずに済んだことに気を良くした私は少し落ち着いて来ました



小学校の教室くらいの広さの部屋にUPIカメラマンと一緒に椅子に座らせ


取調官2人 警備の兵士2人で尋問が始りました


私のアレな英語ではラチがあかないと感じた取調官は


主にアメリカ人であるUPIカメラマンに質問をしていきます


私は意味が分かる時は そうだそうだと相槌をうち


分からない時はきょとんとして子犬のような目で取調官を見ていました



とにかく身元をはっきりさせないとまずい・・・


ああ その身元をはっきりさせるパスポートはホテルに置いてある


これは忘れて来たわけではなく あえて持たないようにしていたのです


こういう事態になって もしパスポートを取り上げられたら


もうどこにも行けなくなります


ですからパスポートは保管しておいてコピーを持ち歩くようにしていたのですが


コピーを忘れて来た・・・・


しっかりしたジャーナリストなら社の発行したプレスカードを持っています


フリーのジャーナリストでも どこかの団体に加入しプレスカードを持っているのです


私のようなどこの馬の骨か分からない人間は怪しさが炸裂しているのです


ゲリラの一派でハザラ族という部族がいるのですが 


この人たちの顔つきはモンゴル系で日本人にも見えます


結局 私にはチープな作りの「日本アフガニスタン友好協会」(泣笑)の名刺しかありませんでした



尋問の中で 忘れてくれれば良いのにフィルムの話がまた出てきて


「どこへやった?」


「だから兵士に取られたんだって! 現場で」


「本当か? 確認取らせるぞ」


「い いいよ別に・・・」


「確認取るぞ?」


「オ オフコース」


いかんヒザが震えてきた


しかもガクガク


悟られないように必死で手で押さえつけた


もう くじけそうになった


フィルムをポロって出しちゃって 「あら? こんなところに入ってたわ!」


って渡してしまおうと思った


ギャグで許してくれるかな


でも


でも もう引っ込みがつかないー!




確認を取るというのはハッタリだったと思うのです


でもバレたら 良くて半年捕まっているフランス人と同じ


悪くて処刑? え? こんなことくらいでーー!?  そんな殺生な!


誰もそんなことは言っとらん


私の妄想です



ひとりで妄想を膨らまして 口をパクパク足はガクガク


まな板に乗せられてパクパクビチビチしている鯉そのものだ


そんな忙しくしている私にまたしても助け舟が入った



「とにかく私たちを釈放しないとジャーナリスト仲間が黙っちゃいないぞ」


UPIカメラマンが強気に出ました


あんたは偉い! そうだそうだ! 行けー がんばれー! 私は心の中で応援します


彼はさらに続けます


「身元を確認したいのならカブールホテルに私たちを連れて行け」


「宿泊名簿に名前はあるだろうし プレス仲間も私たちを知っている」



この申し出に取調官は なるほどと思ったようだ


「わかった 確認のためにホテルに人を出す」


「でもお前たちはここで待っていろ」


一瞬このままホテルに行けるかと思ったが甘かった


しかし 私たちがホテルにいたことは間違いないし


日本人の記者たちもいるはず(サンケイ 読売 朝日 NHKが来ていた)


きっと何とかなるだろう



30分くらい待つと 君たちは釈放だと言われた


これまで約1時間半がたっていた



「じゃ 帰るね さようなら」 と  さっさと席を立って


テーブルの上に置いてあったカメラを返してもらい


建物の外に出て ゲートの方に歩き出そうとしたら


ちょっと待て 車で送るという


え? 送ってくれるの?


と ここで喜んではいけない



車で山にでも連れて行かれて 処刑されてしまったりする可能性だってあるのだ


「いえいえ結構です」


「ノーサンキューでございます」


と 二人で固辞するのだが 許してくれない


とうとう車に乗せられてしまい 送ってもらうことになった



途中 道をあーだこーだ指図し なんとか山に行かせないように頑張った


結局 そんな心配は無用で アッサリと車はホテルの前に横付けしてくれた


私とUPIは運転手に礼も言わずにホテルの中に飛び込んだ


それこそダッシュで



ホテルのロビーに飛び込んだら 


行動を制限されていて情報を欲しがるメディアたちが一斉に私たち二人を取り囲む


「お前ら拘束されたんだって?」


「現場はひどかったのか?」


「犠牲者はいたのか?」



「6人は死んだと思う」


UPIカメラマンと顔を見合わせてそう答えた



スゴイと思った




ここで私が100人と言ったら世界中に100人死亡と情報が流れるのだろうか


現時点では私とUPIしか知らない情報を持っていて


名だたる世界中のメディアが私の言葉に注目している


そんな状況にいる自分にワクワクしていたのでした



それ以降は二人別々に取材されることに 


私の方は日本の新聞社などに経緯を話した


しかし新聞沙汰になるのが恥ずかしかったので


日本のメディアの人たちには 今回は勘弁してくださいと お願いした


まあ今回は無事だったし しょうがないねと快く受け入れてくれたのだけど・・・













うちのとらまる




しまった


通信社というものがあった




そういや取り囲まれた時にAP通信社の人間(アメリカ人だったと思う)が


「名前はー?」 とか聞いてきたので


「オータや!」


「オータ ヤススケ!」


って言葉だけで言ったんだっけ


で このAP通信社の記事を この場に来ていない毎日新聞が買ったというわけ


記事の中でフィルムを取り上げられたとあるのは


当然そう言わないとマズいことになるからですね




そうこうしているちにビザの期限が来て 私は一度日本に帰る事になりました


そして2週間後に またアフガニスタンを訪れることになります


そしてその訪問はアホみたいな結末で終わることになるのです






続く






うちのとらまる
















そういえば一日 腹を壊して部屋でのた打ち回ったのを思い出しました体中の水分出て行くといいますかかなりしんどい思いをしました (笑)生水などは一切飲まなかったのですが生野菜のサラダについていた水分がダメだったようです看病して世話を焼いてくれたのが以前掲載し ... 続きを読む


そういえば一日 腹を壊して部屋でのた打ち回ったのを思い出しました


体中の水分出て行くといいますか


かなりしんどい思いをしました (笑)


生水などは一切飲まなかったのですが


生野菜のサラダについていた水分がダメだったようです


看病して世話を焼いてくれたのが


以前掲載したゲリラのお兄さんでした


薬や飲み物などを部屋に届けてくれたのが


本当にありがたかったです


幸い一日で復活できたのでまた仕事に戻れました





うちのとらまる





うちのとらまる


これは珍しい アフガニスタンの空挺部隊






うちのとらまる


皆 若そうですね






うちのとらまる










ホテルから10分程のところに公園がありました




うちのとらまる


なんかのんびりしていて


皆の憩いの場所って感じでしたね







うちのとらまる


兵士たちも明るくフレンドリーで話しかけてきます


アフガンの公用語は「ダリ語」


まったく通じません (笑)


しかしそこは身振り手振りでコミュニケーションがとれました


日本から来たということも理解してもらって


腕相撲したり(全敗) 写真撮ったりしてキャーキャー騒いでいたのです





いつのまにか








うちのとらまる



結構な人数が集まってきました


さらにワイワイやってると








うちのとらまる


こんなに集まった(笑)




で この後


警官に連行されることになりました



日本に帰ってフィルムを現像してから気付いたのですが


上の写真の左の方に白いヘルメットかぶったおじさんが写ってますよね


私を連行したのはコイツでした


写真に入ってんじゃねーよ(笑)



連行された理由は


「兵士を集めて 何かを企てただろう」


ということでしたが


ちゃうちゃう! ちゃいまっせー!


と必死の弁解して


日本アフガニスタン友好協会(ウソ)の名刺見せて


とどめに私の担当の政府のお役人に連絡を取ってもらって


釈放されました



はじめは警察の人も怒っていたので ちょっと怖かったです・・・






うちのとらまる


私を救ってくれた政府のお役人・・・えーっと・・・名前忘れた


この時は感謝したのですがね 


この時はね・・・












うちのとらまる

腹壊していた私の世話をしてくれたゲリラのお兄さん









カブールを離れ日帰りでアフガニスタン北部の主要都市マザリシャリフに行きました航空会社は アフガニスタン国営航空 アリアナエアライン機体は古く シートもイマイチ笑っちゃったのが最初に決められた座席の背もたれが・・・壊れていて 後ろに水平に倒れてしまったので ... 続きを読む


カブールを離れ


日帰りで


アフガニスタン北部の主要都市


マザリシャリフに行きました







うちのとらまる


航空会社は アフガニスタン国営航空 アリアナエアライン


機体は古く シートもイマイチ


笑っちゃったのが


最初に決められた座席の背もたれが・・・


壊れていて 後ろに水平に倒れてしまったのです


幸い後ろに誰もいなかったから良かったものの


もし人がいたら えらいことになっていたかも (笑)


空いていたので もちろん座席は替わりました


壊れた背もたれはずっとそのままでした







うちのとらまる


コッソリ旅客機の窓から撮影した


ロシア製の戦闘ヘリコプター 


当時は なかなか実物を見るのは難しいもので


いくつかの軍事雑誌などに掲載していただきました







うちのとらまる



マザリシャリフにある有名なブルーモスク









うちのとらまる


私が初めてイスラム教に触れた瞬間です


スピーカーから流れるコーランが


日本とは確実に違う文化圏に来たことを教えてくれました








うちのとらまる


青いタイルが美しいです








うちのとらまる



最近感動したのは


グーグルアースで このブルーモスクを確認できたこと


今まで海外に行ったところを確認してみたくなりますね








うちのとらまる


また行ってみたいと思うのですが


危険なのでしょうね・・・






マザリシャリフでした


私の平和な旅もここまで


次回平和ボケした私に 思わぬ洗礼が (笑)










うちのとらまる

素敵なところでしたよ









ホテル周りの兵士と仲良くなりホテルの従業員とも仲良くなっておきます現地の人間と仲良くなるというのは何を置いてでも必要だと思いますよ観光旅行でさえ知り合いを作っておくと次回の楽しみは倍増しますよね政情不安定な国なら なおさらのことピンチになった時に どこで ... 続きを読む


ホテル周りの兵士と仲良くなり


ホテルの従業員とも仲良くなっておきます






うちのとらまる



現地の人間と仲良くなるというのは


何を置いてでも必要だと思いますよ



観光旅行でさえ知り合いを作っておくと


次回の楽しみは倍増しますよね








うちのとらまる



政情不安定な国なら なおさらのこと


ピンチになった時に どこで助け船が入るか分かりませんから


まあ何も無ければそれでいいのでしょうけど


慎重派のわたくし(自称)としては いろいろな人たちと


交流をしつつ写真を撮っていきました








うちのとらまる



カブールは高地にある盆地 


4月の日差しは強く紫外線タップリ


気温は涼しく乾燥しています




街に出てみました









うちのとらまる


結婚式にお邪魔したり








うちのとらまる


ナン屋さんを覗いたり







うちのとらまる


こちらは おもちゃ屋さん








うちのとらまる


靴屋さんですね








うちのとらまる


キオスクみたいなところ


マイルドセブン売ってました


なぜか日本の3分の2くらいの値段








うちのとらまる


全く記憶が無いのですが


レスリングのジムも撮影していました


鍛えられた男と男の体が 組んずほぐれつ・・・



なんで撮ったのかなあ(笑)






うちのとらまる


崖だか住居だかよくわからない


こういう風景は日本には無いですよね






うちのとらまる


カブール市が見渡せる場所ということで


高台へやってきました





うちのとらまる


一般の人たちは それなりに幸福そうで


ソ連(当時)にバックアップされた政権も それほど悪くはなかったのでしょう







うちのとらまる


子供たちがまとわりついて離れません






うちのとらまる


彼らは偉いですよ


ポケットに手を突っ込むようなことはしません


でも何か欲しくてしょうがない


何にもあげるものがないので


フィルムが入っていた半透明のフィルムケースをあげたら大喜びしていました


いい子達でしたよ









うちのとらまる


頭に包帯を巻いた物乞いの子供


本当に頭を怪我しているのか怪しいけれど


信じるしかないですもんね






うちのとらまる

女性を撮影するのは なかなか根性がいります


殆どの女性は撮影されるのが嫌なようで


何度も怒られました






うちのとらまる


ホテルに戻ると庭に穏健派の反政府ゲリラがいました


政府と対話するためにカブールを訪れていたようです





うちのとらまる


彼らは自分の身を守るためにライフルの所持を許されていました









うちのとらまる


カブールの夜景・・・




なんかだらだらと写真を見せるだけになってしまっていますが


どうかお許しください










うちのとらまる

いざとなったら僕を守ってね の気分(正直な話)











私がアフガニスタンに到着してからずっと心掛けていたのが 知り合いを作ること幸いカメラという武器があったので言葉が分からない相手でも自然と打ち解けることが出来ました真ん中のサルみたいなのがわたくしすべての報道陣たちは ひとつのホテルに宿泊させられましたカブ ... 続きを読む


私がアフガニスタンに到着してから


ずっと心掛けていたのが 知り合いを作ること


幸いカメラという武器があったので


言葉が分からない相手でも


自然と打ち解けることが出来ました





うちのとらまる


真ん中のサルみたいなのがわたくし




すべての報道陣たちは ひとつのホテルに宿泊させられました


カブールホテルといい 当時ではインターコンチネンタルホテルに次ぐ


まともなホテルであり


場所も大統領府の向い側という安全な立地条件でした


ホテルを警備していた兵士たちは


同い年か もしくは私より若い男たち






うちのとらまる


後に他の国でも見る事になる


銃口に花を差すという行為 


平和をアピールしているのは容易に分かりますが


引き金を引けば 当然弾は花を吹っ飛ばして出て行くでしょう


平和ボケしている私には あまり伝わってこない方法でした







うちのとらまる



みんなポーズをとるのが好きでしたね (笑)










うちのとらまる








うちのとらまる






うちのとらまる










うちのとらまる


こちらは大統領府の警備をしている兵士


真ん中はホテルの警備の男








うちのとらまる



大統領府警護兵士ならエリートのような気がしますが


真ん中の普通の兵士が 妙に馴れ馴れしいですね


階級とか どうなっていたのでしょうかね







うちのとらまる



とにかく いろいろな人たちと 


どんどん仲良くなって 写真を撮る


それを心掛けていたのです








アフガニスタン北部で 日本人ジャーナリストが誘拐されたと報道されています


現在 さまざまな人たちが救出のために水面下で動いておられるでしょう


なんとか なんとか無事に帰ってこられますように・・・・








うちのとらまる

申し訳ありませんが あと2~3回くらい続きます