カテゴリ: 親友 森川光生
陸上自衛隊 総合火力演習2017
前回に続いて
亡くなった親友カメラマンと
90年代に取材撮影で訪れた思い出の総火演
友人の子供たちとやっと訪れることができました
空てい部隊のパラシュート降下
今まで3回くらい取材で来ているのですが
今回は初めて一般で参加しました
会場は観客でいっぱい
人気があるのが分かります
チケットも抽選だとなかなか当たらないほど
倍率が高いようです
実際 わたしも5年くらい連続でハズレ(笑)
今回は当たった方のご厚意で
チケットを譲っていただき
さらに
自家用車で行ける駐車チケットを
また別の方のご厚意で頂けたのでした
演習が始まると
砲弾の発射音や弾着音のたびに
おおーーー と どよめきが起こります
実弾射撃は滅多にみられるものではないので
珍しくて興味をそそります
しかし初っ端からの防衛大臣到着から
拍手や手を振る人たちを見ていると
何か違和感を覚えましたし
砲弾が命中すると大喜びで拍手・・・
うーん いや 当たったのは喜ばしいし
日頃の隊員たちの成果だから
素晴らしいのだけど
うーん
素直に楽しめればいいのかとも思いますが
妙に中高年がはしゃいでいるのが目につき
やがて鼻につきだしたのです
私たち中高年の使命ってなんでしょう
日本を戦争の道に進ませないこと
若い人たちに悲惨な思いをさせないことでしょう
戦争も知らず平和の世の中で
豊かな生活を享受してきた世代ですよね
そういう人たちが勇ましい事を言ってると
しらけてしまいます
昨今 ネトウヨとか右翼の人たちで
戦争を体験している人なんて殆どいない
そしてその世代の人間はいざ戦争となったら
戦いに行かない世代ですよ
元防衛大臣の稲田某などは
その最たる人間でしたね
血を流さずして国は守れない!
とかなんとか言ってましたよ
何をほざくかって感じですよね
まあそれでも私は国の防衛のためには
軍備が必要というのには納得で
その装備をしっかり使いこなし
それを発表する場があってもいいと思います
さらに自衛隊の皆さんには災害派遣という
無くてはならない大変な任務があります
災害時の活躍などでは凄いものがありますよね
どうぞこれからも事故などないように
活躍していただきたいです
こちら74式戦車と10式戦車の射撃
本当は音も凄いのですが
ムービーだといまいち
わりと近めだったので衝撃波はありました
観客の反応を見ていただければ
結構すごかったことが分かると思います
あらかじめ言っておいたにもかかわらず
森川の子供たちも発射が思ったより凄くて大うけ(笑)
純粋に兵器の凄さを見てもらえればいいと
そう思ってここに来ましたが
砲弾が当たる場所に身を置いて
もし自分がそこにいたら
それを想像して見るんだよ
そう一言だけいっておきました
ひとつ総火演に提案です
もっともっと参加車両増やし
大砲も増やして
戦闘ヘリも10機くらいが一斉に攻撃
標的も廃棄された戦車や装甲車にして
もうやりすぎなくらい砲撃して欲しいな
そう
観客が引くくらい
そうしたら戦争って大変なことなのだという
認識を持つ人たちが増えるのではないかな
そんなことを思った総火演2017でした
四国
1年以上行けていなかった
親友のふるさとへ 行ってきました
のんびり1泊でもして--
なんて思っていたのですが
東京を出てすぐにシロの発作があり
といって予定変更もすぐにできず
用事のあった名古屋 滋賀を経由して
四国は特急日帰りで行ってきたのでした
午前3時前
滋賀を出発
さぼい さぼいよ
淡路島
のんびりタントでドライブというわけにもいかず
兄貴に借りたマシーン
そりゃいい車には乗りたいと思うけど
出せるスピードは制限速度内
なら 別に車なんて軽で十分
なんて
負け惜しみもありますが
そう思っていたのですが・・・
やっぱりええもんはええなあ(笑)
コイツのおかげで滋賀--四国間がスゴイ楽でした
目的地は香川県観音寺市
日帰りのために朝に到着
なぜ朝なのかといいますと
これを食べたいから(笑)
この掻き揚げが午後には売りきれるのです
午前10時に突入し
うどん大(二玉)をむさぼるように食べる
ああ・・・おいしかった・・・
あ もちろんこの前に
森川の仏壇にはお参りしましたよ
遅くなりましたが
森川は2009年10月にガンで亡くなった親友
その忘れ形見が成長しちゃったのです
お姉ちゃんは ちっちゃいけど今年成人
弟は今年から大学生になりました
奥さんは本当にスゴイ
森川のあとを継ぎ 写真事務所を経営
立派に女手ひとつで二人を育て上げました
また淡路島
明石海峡大橋が見えます
晩御飯を森川家と一緒に食べてから
元気でねと滋賀へ
ほんと駆け足の四国でした
このままこの車で乗り逃げしたくなったけど
しょうがないので車を返却して(笑)
いつものタントで東京に向かいます
深夜から雪が
関が原を通らない新名神高速だから
安心してたのだけど・・・
うひー! 積もって来たよ!
なんて
少しオーバーでした
怖かったけど それほどでもなかったですよ
ということで朝6時過ぎに東京に帰着
病院が開くのを待って
入院していたシロをつれて帰ったのでした
あ 無理やりの退院ではありません
ちゃんと先生と相談してのことですよ
かわいい森川の子供たち
以前と比べ大きくなったなあ
何をできるわけでもないけど
これからも おっちゃん見守っているからね
観音寺にて
さぬき市で報告会を済ませ
会場から あと1時間と少しも走れば
私の大好きな場所があります
観音寺の友人の家族たちと過ごしてきました
大きなスタジオもある自宅
友人亡き今
現在は しっかりものの奥さんが切り盛りしているのです
奥さんはNHKの番組情報誌の元編集をしていた方で
二人の若いカメラマンを雇ってスタジオを続けています
番組情報誌について少し説明
今では当たり前のBS放送
NHKがBS放送を前面に出したいがために
1990年 「ステラ」という週刊の番組情報誌を創刊したわけです
前身は月刊誌のグラフNHKになります
私は当時編集プロダクションに所属し 森川とともに仕事をしていたのです
ある日ビックリなことに
うちの社長がその「ステラ」の初代編集長になったものですから大騒ぎ
うちの社長 とってもユニークで 以前SM雑誌!の編集長もしていたこともあって
「俺は縛るのが上手い」 と言っていた人 (何の役に立つんでっか)
それを文春が嗅ぎ付け 記事になったのですが
取材に答えたコメントが素晴らしかった
「SMであろうがNHKであろうが仕事であるからには全力でやりますよ」
「編集長に抜擢された時もプロフィール過去のことはすべてNHKに伝えてある」
もう誰も何も言えませんよね
素晴らしかった
夜 会社からジョギングに出かけて遠くへ行きすぎ
帰って来られないから迎えに来てと電話してくる社長
タクシー捕まえてくださいと言ったら
財布がないからという社長
素晴らしかった
あ いや社長のことは置いといて
その創刊する雑誌のメンバーの中に奥さんがいたわけです
森川とは社内恋愛ってことですね
ぐっ
意味はなさそうです (笑)
私がこの家を訪れると
一番に この子を連れて近所のスーパー銭湯へ行くのです
男同士で露天風呂で浸かったり出たりしながら
いろいろな話を聞くことにしています
小さかったこの子も中3
工業系の高校に行ってロボットを作ってみたいと言ってました
父親の森川もラジコンとか好きだったからなあ
血は争えません
一夜明けて
一番にしなければいけないことは これ
もう 何があっても譲れないのです
森川の奥さんも それは理解してくれていて
一家で付き合ってくれます
もともとお餅やさんの うどん店
お米も もちもちして美味しい
お稲荷さんは外せないのです
となりのかき揚げが早く行かないと売切れてしまうのです
一番奥は 海老おこわ
これは森川家族が注文 食べていません
というか 食べたいけど腹がいっぱいで食べきれないのですね
かなくま
ああ また来なきゃ
うどんのあとに墓参り (笑)
オイオイって感じですが
森川の生前から かなくまうどんの虜となっている私
彼も知っています
許してくれるでしょう
というか
文句があったら出てこいや
今日は私の大好きな娘ちゃんの文化祭
そりゃ何を置いても行かねばなりません
娘ちゃんはデザイン科なんですね
ここでも両親の血を引いてます
カワイイ!
両側の子たちもかわいいけど
真ん中の娘ちゃんはダントツにカワイイ!
スバラシイ!
赤矢印が彼女の作品
みんな素晴らしいけれど
もうダントツにスバラシイ!
鉛筆をたくさん使った黒っぽいのがイイ!
力強くてスバラシイ!
この日は母親もカメラマン
私と二人で撮りまくりです
もう 恥ずかしいからやめてー と言われるまでやめません
なんてカワイイのでしょう
スバラシイ!
なんといいましょうか
彼女はみかけでは想像もつかないものを作り出します
今回の作品を見てそう思いました
彼女が所属する 漫研にやってきました
今流行の 新劇の巨人らしいです
いやもとい進撃でした
ちょっと私はよくわかりません
これは娘ちゃんが制作しました
これは何なのか・・・
で
娘ちゃん関係以外で燃えたのが
トリックアートコーナー
これが面白かったのよ
説明する高校生の子の話も聞かず
むきになって騒いだのが これ
AとBの色の濃さは同じ
というもの
分かるよ
こっちだって大人なんだから
目の錯覚を利用しているわけだよね
同じなんだよこれは
しかし!
どーーーーーー見ても
斜めに見ても
まっすぐ見ても
これは違うやろ!
ぜったいBのほうが薄いやろ!
高校生の男の子が一生懸命説明してくれる
いや 君もそう言えといわれたんだね
可哀想に
自分でも違うと思いながら
きっと怖い先生に言えと強制されたのだろう
うんうん 分かるよ
気持ちは分かるけど・・・・
これは違うやろ!
Bのほうが薄い!
これでどうですか と男子生徒
ABのところだけ穴の開けたカバーをしてくれた
・・・・・・・・・・・
こ
これはアレだね
なんか薄い色のついたセロファンかなんかが貼って・・・
すかさず高校生が二つの穴に指を突っ込んで何もないことをアピール
・・・・・・・・・
いや これは何か分からんが裏があるに違いない
ここではそれが証明できないから帰ってから検証してみようと思う
あーだーこーだ と言っているうちに
いつのまにか案内役の男子生徒はいなくなっていた
・・・・・・・・・
わ
私の名誉のために言っておくが
この疑問を唱えたのは私だけでなく森川奥さんもである
彼女もどう見ても一緒ではないと言い張ったのだ
映像のプロである二人が言っているのだ
こうなれば この作品を撮影させていただき
一度 森川宅に戻り フォトショップで検証だ
フォトショップなら色や濃淡が数値で出るのだ
フォトショップ嘘つかない
一緒でした
自分ちに帰ってきてもう一回やってみたけど
ほぼ同じでした
しかし皆さんはどう思います?
写真で見る限り どう見てもBが薄い
薄いんですよーーーーーーー!
といいながら瀬戸大橋を渡り 滋賀へと向かいます
ゆっくりしたかったけど 次の日は父の七回忌があったのです
まあいいか
どうせまた来るだろうしね
忘れ形見
やっと
やっと訪れることが出来ました
四国は観音寺
親友 森川 が暮らしていた街
彼が病気になって以来
毎年夏には訪れていました
しかし去年は
福島のことがあり
行けずじまいに終わり
ずっと気になっていました
讃岐うどんが
いやいや違う違う
いや うどんも気になっていたのではありますが
まあ お参りですな
それと
何よりも会いたかったのは
彼の二人の子供
もう半端なく好き
こんなに好きな子達はいません
前回会ったのがちょうど2年前の8月11日
一緒に小豆島に遊びに行きました
その頃の二人は
お姉ちゃんが中学生
弟が小学生
その時に森川のカミさんが撮影してくれた
写真データを 2年後の同じ日にもらいました
(もっと早くくれよ)
私はカメラマン 写すのが仕事
自分が写真に写るのはちょっと苦手なのではありますが
最近 思い出に写っておくのもいいと思うようになってきました
何より
この森川カミさん写真が上手い
森川の跡をついで撮影の仕事もしているほど
いろいろな表情を押さえてくれています
何枚かご紹介しましょう
高松から小豆島に向かうフェリーで
映画 「二十四の瞳」 オープンセット村で
ここも
何を話していたのか
もう忘れちまいました
思いっきり突き指したところを攻められるワタクシ
ニホンザルの赤ちゃん
かわいいのう
帰りのフェリーで
とまあ2年前の写真を紹介してしまいました
で
今回の写真
明石海峡大橋を
淡路島側に渡ってすぐにあるハイウェイオアシス
観覧車があるんですね
高い高いー
・・・・乗ってしもうた
それも おっさん一人で
淡路島から本州を見ています
うどんを食って
(観音寺にある 「かなくま」の 冷たいかき揚げうどん もうサイコー!)
後ろに写っているのは
小学生だった森川息子
今は中二なっていた
しかも背もぐんと伸びていてビックリ
ビックリといえば
森川娘が高校一年生になっていたことも
美術系の高校に猛勉強して入ったとか
イラストとかマンガを描くのが好きなのだそう
森川の忘れ形見
二人とも本当にいい子たち
ずっと見守っていけたら いいなあ
希望を・・・
森川のガンが見つかったのは5年前
彼から連絡があり
仲間のカメラマンたちが駆けつけた
左から 森川 平賀 高山
編集プロダクション時代の先輩後輩になります
9月に入っても まだ暑かった この日
行ける! 絶対治せる! と励ました日
森川は
「ああ 頑張るよ」 と
力の無い声で呟いていました
この時現れた虹を4人で見て
一緒に頑張ろうな と・・・
しかし この5年と数ヵ月後に森川は力尽きました
全く知らずにいたことなのですが
背中を向けている森川の後輩 平賀くんの奥さんが
この時すでにガンを発症されていて
先週 亡くなってしまいました
7年の闘病生活でしたが
平賀くんは奥さんの病気のことを
私たちに 一切話しませんでした
お葬式の記録を頼まれた私は
残された二人のお子さんの表情
喪主である平賀君の表情を必死に撮影しました
この世でガンという病気がわかってから何十年経ったのか
未だ治療できないことが本当に悲しく悔しいです
ではまた
思い出 2
どーん
ここは横浜根岸にある
ふるーい某建物
昭和5年に建てられたとか
22年ぶりにやってきました
ここは森川との思い出の地
廃墟にそそられ
森川光生 森下光紹(同じくカメラマン) 私 太田の3人は
夜中にふと思い立ち
この場所を訪れたのです
最初はフェンスの外から見ているだけだったのですが
中がどうなっているのか非常に非常に気になりだして
とうとう いけないこととは知りつつも潜入してしまいました
中に入って昭和初期のモダンなデザインのエレベーターなどを見つつ
ライターの明かりを頼りにどんどん上へ
やはり頂上は極めないといけないという気持ちでした
3本ある真ん中の塔の屋上に立った3人は
この建物を征服したような気持ちになって
喜び合った記憶があります
遠い昔の思い出
何かしたくてしょうがない頃
森川は確かに生きていたのです
帰り道の第三京浜
怖いもの知らずの私は
会社から借りていた車で
二人を乗せてバカみたいなスピード出したっけ
あ この写真は愛車1号に二人乗りして
後部シートに座っているタマさんに撮影してもらいました
タマさんは ここ数年仲良くしてもらっている友人です
職業はグラフィックデザイナー
また紹介できる時が来ると思います
多摩川
二子玉川方面を望む
ではまた
思い出 1
森川の数少ない写真
多分20代半ばから後半の頃かなあ
カメラマンって職業の人間は
撮るのはいいのですが
撮られるのに慣れていないのです
写真タイトル「メンズ○ンノ」らしい
ちなみに右の男性は社長でした(笑)
撮られるのに慣れていないから
照れを隠すために
自然 おどけたポーズになるようです
でもまあ こういう普通の写真もあるのですけれどね
で
これは----
某夕刊紙の何の記事だか忘れましたが
ヨッパライの写真が必要ってことで
ヤラセで撮りました
右の男性は
とってもまじめな先輩記者さん
二人とも酒は一滴も飲んでません(笑)
バカみたいなことでも真剣にやってた時代でした
ではまた
森川のこと
ブログテーマに 「親友 森川光生」 を追加しました
猫とは全く関係ありませんが
数少ない森川の写真を 皆さんに見ていただきたいと思いました
どうかお許しください
自分の持っている 森川が写っている写真を改めて捜してみました
余り無いものですね
こんなことなら もっと撮影しておけば良かった
数枚見つかった中で 今のところ一番のお気に入り写真
写真スタンドに入れて居間に置こうと思いました
2006年11月 もうーす撮影です
ちょうど3年前
森川が セカンドオピニオンで東京に来た時の写真
夜の撮影でブレてはいますが
私の一番好きな写真です
場所は銀座
森川がどうしても鰻を食べたいというので
写真の彼の正面にある「鰻屋」が開店するのを待っているところです
確か 夜6時か7時に開店するお店でした
ここでもうひとりの仲の良いカメラマンの友人(森川のHPで紹介 )と3人で
後ろのビルの入り口に座り込んで談笑しながら開店を待っていました
(このあと奥に写っている警備員の方に注意されました・・・)
自分で言うのも何なのですが
とても穏やかな良い表情で撮れています
頭の中は鰻でいっぱいの顔だったかもしれませんけどね
両脇のビールは
15年くらい前 新撰組のファンだった私に森川がプレゼントしてくれたもの
確か仕事先で見つけたって言ってたな
後ろの地球儀は
私の息子のための誕生日プレゼント
だいたい10年くらい前だったかな
これで森川を いつも身近に感じられます
別れ
猫の話ではありません
友人を紹介させてください
今日 友人を亡くしました
親友といっていい人間でした
25年前
それぞれ地方から上京してきて
それぞれの尊敬する師の助手に付き
会社の同僚となって撮影に明け暮れ
お互い独立しても ずっと交流がありました
バイクが好きで
さまざまな道具が好きで
カメラが好きで
何よりも写真が好きでした
好きなものには とことんこだわって 極限まで追求する男でした
5年と2ヶ月
彼は病気と闘いました
おつかれさま
良く頑張った
またそっちで会おう
絶対に
森川
(掲載写真は すべて1ヶ月前のものです)
彼のHPがあります
もうこれ以上の新作は見ることはできませんが
作品は永遠に残ります
少しだけですが 私のことも紹介してくれています