猫たちへの給餌と「えさ台」のメンテナンスもあと1箇所になって
そちらに向かう途中に その牛舎はあります
何度も通る道
いつものように通り過ぎようとしたとき

例にもれず ここも除染対象になっているのですね
草が伸び放題だった もと田んぼもすっきりしていました
地震で出来た亀裂の入った牛舎に向かう砂利道も
埋め立てられ すっかりきれいになっています

牛舎内は早くにきれいに片付けられていましたが
牛舎の周りはずっと放置されていたのです

苦しさで のたうち回っていた
そんな牛たちの風景が頭の中でフラッシュバックします

左手前の柵の中にガガはいました
60頭ほどいた この牛舎最後の生き残りです
この柵の位置で牛たちの運命は決まりました
向かって右側の柵はポンプで水をくみ上げる仕組みで
鼻先でレバーを押すと水が出る給水器タイプでした
ところがこのタイプは停電になってしまうと
ポンプが動かなくなってしまいます
水が飲めなくなった右側にいた牛たちは早い段階で倒れていったのです
いっぽう向かって左側一列の柵は違う仕様でした
左手前にあるコンクリートでできた水飲み場
これは井戸水が自然に湧くようになっているもの
餌はとっくの昔になくなってはいましたが
左の柵にいたガガたちは水が飲めることで生き延びていたのです

奥の柵が湧き水タイプだった 2011年4月12日撮影

そして牛舎を開放して外に出られても
水を求めて落ちて行った用水路
当時は草が生い茂って全体が分からなかったけれど
除染で草が刈り取られたことによって姿を現しました
除染してきれいにして
何事もなかったようにしてしまう
苦しみぬいて死んで行った牛たちは忘れ去られ・・・
いや
私はしっかり覚えている
人間に簡単に見捨てられた牛たちがここにいた
このことを絶対に忘れてはいけない
そのために私はこれからも伝え続けなければと
あらためて心に誓う!・・・
と 勇ましく思った後に
いつもその火をかき消すようなフレーズが出てくるのです
「おまえ 肉食ってただろ」
彼らは常時なら お肉になる牛たち
どちらにしても死ぬ運命
それをいまさら見捨てただの
さんざん食べてきてかわいそうだの
何を云ってるのだ と・・・

2011年4月22日撮影
左の牛はガガ

2011年5月4日撮影
2011年4月17日

2011年5月4日

2011年5月4日

2011年4月20日
いちから考え直す
その機会をもらった福島
食の話は永遠のテーマ
これからも悩み考えていきたいと思います
皆さんの考えも教えてくだされば嬉しいです
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コメント
コメント一覧 (12)
屠殺が、どれだけ楽に死なせてやれるか知りませんが、餓死はその苦しさが比べ物にならないと思います。考えても想像もつかない苦しみ・・・
言葉になりません。
苦しんで苦しんで死んでく必要はなかったわけで
人間の身勝手な罪の犠牲になった子達に私たちは詫びねばなりません。
どんなに辛かっただろう。ごめんねごめんね。
忘れてはいけない。この罪を人間は一生胸に刻んで二度と起こすなよ。
この地球は人間だけのものじゃないことを自覚せよ!
現状を知らせて下さって感謝です。ありがとうございます。
無駄なく、美味しく、丁寧にいただく。
そして、自身の命を大切に生きる。
きれいごとっぽいですが、そういうことではないかと思います。
生き物に辛い思いをさせるかどうかということは、これとは別のところにあると思います。「どうせ死ぬのだから」などという人には「あなたもどうせ死ぬのだから、金輪際病院など行かず、無駄な食糧など食べず、苦しみぬいて死んでくださいね。」と言いたいです。
この現実を忘れ去られてはいけません、絶対に!
テレビでは毎日、リオオリンピック! その裏で長崎原爆記念日…
どのチャンネルまわしても放送されずに?ただし、天皇陛下はその時間に黙祷されたとニュースで。
最後のガガがもの言えたら…
東京に送られる福島の電力?本当の事は報道されないと現地の人は語っています!
当時がトラウマになり、動物を食べるのを止めました
誰にも「おまえも肉食うんだろ」などと言わせません
「食べませんが、何か?」
だから、自分の感じた事は胸を張って堂々と、大声で主張します
人間は動物を食べなくても健康で生きられます
もう、こんな事終わりにしましょう
わたしも肉は食べます。でも福島での餓死状態はわたしも心が痛みました。肉を食べてきたからといって、どうせ死ぬものを何とも思わないということはありません。何とかならないのかと何もできない自分を歯がゆく感じました。
わたしはパリ在住なのですが今年3月に、この牧場の記録映画が上映されみにいってきました。上映後監督にこの牛達は何らかの研究素材になっているのかお伺いしましたが、どうやら研究自体は他でやられているようで。。。せっかく生きている牛達が何か将来の役に立つ事を願ってやみません。
牛達にとっても面倒をみている皆さんにとっても、生きている事がよろこびである事を祈っております。
私は無理です。
同じ理由で、牛も馬も豚も鶏etc.一切食べません。
この子たちの眼差しを絶対に忘れないようにしようと思います。
命を粗末にしてしまう今の仕組みが変わっていきますように。
命を大切にいただくことが当たり前の世の中になりますように。
日本語の「いだきます」は調理してくれた人にはもちろん、食材への感謝の気持ちも入っているのです。
確かに、地震が無くてもこの牛達は天寿をまっとうする事はなかったのでしょうが、こんなにも苦しい最期にはならなかったはずです。
私はそう思います。
何が何でも避けてるわけではありませんが、自らスーパーの精肉売り場へは行かなくなりました。
私が食べないことで何か変わるわけではありませんが、家畜と呼ばれている動物とイヌネコがなんら変わりないと私が思うようになったから・・・。
感謝して“いただきます”。
命をいただいているからこそ大切に思い、扱います。
子牛から搾取してる『牛乳』は、もっと高級な嗜好品で良いと思います。
子牛にもっと母乳を飲ませてやって欲しいと思います。
ニンゲンは少しだけ分けて貰うレベルであるべきだと思います。
もしかしたら食用肉も、もっと高級であるべきなのかもしれません。
人間の勝手で肉にされ、必要がないと捨てられる。
家畜も生きている。
あまりにも酷い。
このような酷い事が二度とないように願います。
ほんとうに生き物を食することが嫌になりそうです。
動物の肉が必要ない時代が来てほしい。
科学者が開発してくれないかな。
今は無理でしょうから。
でもきっともっともっと遠い未来になるんでしょうね。