今回はちょっと文章が多く だらだらと長くなっております 

どうかお許しください







予定の10日間のうちの3分の2を消化して


カブールにも少し慣れてきた頃





うちのとらまる





街に出れば穏やかな人々が一生懸命に生きている


その姿に嬉しくなり さらにシャッターを切ってゆきます



しかしそれは上辺だけの姿でした


他国や他部族の支配を許さないアフガンの人々は 


ソ連が侵攻する はるか昔 イギリスでさえも撃退しています


現在はアメリカを主とした国際部隊と戦っている


この国は というか この地域はそういうところなのです







うちのとらまる




前回 公園で拘束される前にどこのメディアか忘れてしまいましたが


フランス人のジャーナリストが 当時 もう半年も拘束されていたのです


(観光ビザで取材活動を行った罪=スパイ容疑で逮捕)


その彼を釈放させるために 各国メディアがホテル内で署名運動を行っていて


私も協力していたのでした


そういう危うい場所であることは 頭では分かってはいるのですが


一見平和なカブールに惑わされてしまっていました





私はホテルの食堂で他の取材陣の人たちと一緒に昼食をとっていました


午後は政府案内の取材地巡りを控えていて


ほとんどのメディアはホテルにいたのではないかと思います


まだ時間に余裕があったので


カメラバッグはホテルの部屋に置いたまま (カメラマン失格ですな)


しかし1mmほどのカメラマン魂が残っていて


コンパクトカメラ (ニコンの防水コンパクトカメラ)は


胸ポケットにいつも入っていました


コンパクトカメラですから写りはたいしたことはないのですが


防水であり衝撃に強いタイプでしたので丈夫なカメラだったのです 



アフガニスタンは乾燥していて 砂埃がすごいのです


一眼レフカメラはかろうじて故障は免れましたが


他に持っていたコンパクトながら写りが良いミノルタのCLEというカメラは


3日ともたずに故障していました


その点 防水コンパクトカメラはフィルム交換時さえ気をつければ怖いものなしでした






「ドスン!」






皆が食事をしているときです


文字で表現するとドスンしかないです


床が揺れました


この出来事で のんびりとした昼食の雰囲気が一瞬で変わりました


皆あわてて機材を用意しだしています


TVはすぐに動けないので大変です


とにかく何が起こったのかは外に出ないと分かりません


私は身ひとつでしたから すぐに対応できました


席を立ち ダッシュでホテル裏門を通り 路上に飛び出しました



500mくらい離れたところでしょうか黒煙がもくもくと上がっています


後ろを振り返ると さらに2名のスチールカメラマンが来ていました


その後ろでは兵士がホテルの門を閉めてしまい


他のメディアたちが閉じ込められていました





うちのとらまる

ホテルの裏門 (別の日に撮影)





ホテルから出られたのは 通信社のUPIとAFP そして私の3人だけ


タクシーか何かないか あたりを3人で見渡しましたが


残念ながら見当たらなかったので とにかく現場に向かって走り始めました



2、300m走ったところで 一番年配(40歳くらいだったか)のAFPカメラマンが


息切れで走れなくなりました


一度皆走るのを止めたのですが 先に行ってくれと言うので


UPIカメラマンと2人でさらに走りだしました



現場まであと100mくらいまで来た時に 今度はUPIカメラマンがへばりました


そして彼も 先に行ってくれと言い出しました



一瞬 「これはオイシイ」 「私だけの写真が撮れる」 「スクープじゃん」 と


脳裏をよぎりました  が  すぐに打ち消しました


スクープなんかよりも身の安全が最優先 (ここが三流)


いくら平和ボケした私でも こういう状況での単独行動はとても危険だということは知っていました


何かあったとしても目撃者がいて しかもそれがジャーナリストであることは


かなりの抑止力になり得ます


とまあ こんなこと書いてますが 要はひとりで現場に行くのが怖かったのです(笑)



「カメラバッグ持つよ!」 私は手ぶらだったし まだ元気があったので


彼のバッグを奪い取って また二人で走り出しました



そしていよいよ現場に到着



爆発から10数分経っていた現場は兵士たちが集まっていて


その現場を封鎖しようとしている時でした


ありがたいことに なぜか私たちが到着したエリアは兵士たちがいませんでした





私はカメラバッグをUPIカメラマンに返し 数枚シャッターを切りました











うちのとらまる




何枚かシャッターを切ってから 何が起こっているのかを肉眼で確認


負傷者でしょうか 全く動かない人間が最低6人は運び出されていました


隣にいるUPIカメラマンとも顔を見合わせ お互い「6人」を確認しました




そして次の行動に出るのですが


正直 現場のど真ん中に突入するのは なんとなくヤバイ気がして


私は上の写真右に写っているバスの裏から攻めようと思い移動し始めました






うちのとらまる



中途半端に写真を撮っています


移動か撮影かはっきりしろって感じですが


一場所に留まるということが何となく危ない気がしていたのでした




この後UPIカメラマンがどういう動きをしたかは分かりません


まっすぐ突入したのか左側から回り込んだのか・・・・





うちのとらまる








無事にバスの横に回りこむことができ








うちのとらまる


この一枚を撮った後 さらに前進し


バスの先頭部分に差し掛かって カメラを構えた時






誰かが私の背中を すごい勢いで突き飛ばしました


私はつんのめって2、3m前進しながら 思わずシャッターを切ってしまいました




うちのとらまる

その時の写真がこれ



もう本当にビックリして心臓が喉元まで出てました




コッソリいたずらをしていてドキドキしているところに 


後ろから大声を出され突き飛ばされたら誰しもビックリしますよね


そんな感じ (笑)    




心臓を飲み込み


後ろを振り返ると同時に2人の兵士に服をつかまれ引き倒されました 


そして腹ばいになり 背中を硬いもの (靴か銃床) で殴打されました


しばらく兵士も興奮していて 何をされるのか全く分からない状態


一人の兵士は銃口を私の背中に押し付けていたものですから


このままここで殺されるのでは と恐怖を感じ


「撃つな! 撃つな! 撃つな!」


通じるわけもないのに私は日本語で叫んでいました



あっという間の時間なのでしょうが


永遠のような気がする中


少し周りが落ち着いてきたような雰囲気になりました


服の襟をつかまれて私は引き起こされ


銃を付きつけられてカメラを持ったまま手を上げて移動


その先にはロシア製のジープ型車両がありました





うちのとらまる

同型の車両  (別の日に撮影)






後部座席を覗いてみると


そこには うなだれてぐったりとしたUPIカメラマンが既に乗せられています


顔を見ると明らかに暴行された傷跡が確認できました



後部座席には 一番奥のドア側に兵士 次にUPI そして私 


小型のジープのリヤシートは3人で満席状態


しかし私が逃げ出さないように私の後に もう一人乗り込んできました


当然シートに余裕が無いので 兵士は私のひざの上に半ケツを乗せています



ジープが走り出し 自分がいったいどうなるのか不安でしたが


私は妙に冷静になっていて 今やるべきことをやろうと思いました



そう 撮影フィルムを守ることです



幸いカメラは右手に持ったまま


その右手の位置は 私のひざに半ケツを乗せている兵士の


もう片方の半ケツの下で そこには空間があり 兵士たちからは死角になっていました


撮影していたところを見られているので もうカメラを隠すわけにはいきません


隠すならフィルムの方


そんなことが出来るのか分からないけど


何もしないでフィルムを取り上げられるのは しゃくにさわったのです


私は撮影したフィルムを隠すことに決めました



フィルムカメラはフィルムの巻き戻しという作業が必要


その巻き戻し作業を右手だけでやらなければいけないのです


巻き戻しが手動であったりしたら片手では無理


モータドライブ付の一眼レフカメラの巻き戻しは電動で出来ますが 


2アクションが必要なので無理



しかしラッキーにも持っていたコンパクトカメラはよく出来ていました 


カメラの底にある小さいボタンを押せば電動で巻き戻してくれます


(当時のコンパクトカメラはだいたい皆そうでしたが)


巻き戻しにはモーター音がしますが軍用車の騒音でかき消してくれました


巻き戻しがいつ終わったのかも分からないくらいに (笑)



ジープはまだ走っています



次はフィルムを取り出すために裏ぶたを開けなければいけません


この作業も 片手でレバーを下げるだけでパッカリ開きました


そしてフィルムをつまんで取り出したとき・・・


前の助手席に座っていた兵士が後ろを振り返っていて 


モゾモゾしている私の動きを変に思ったようで


「何やってんねん!」 みたいな事を言ってきたので


私はフィルムから手を離し 右手を上げて何もしていない事をアピールしました


「コソコソすんなよっ!」 と言ったかのかは知りませんが 何かをわめいて


兵士は また前を向いてくれました



フィルムはシートの上に放り出したから 手探りで探してみるのですが


なかなか見つかりません


動けないギュウギュウ詰めの車内で怪しまれずに探すなんて無理


手が届くところはすべて探したけど分からない


そんなことをしている間に とうとう何がしかの施設に到着してしまった



あーだめ もうだめ 私はあきらめました



ゲートで一旦停止し さらに敷地内に入っていく


広いので軍の施設と思ったけど 後から聞いた話では警察の施設だったらしい




車が止まり ドアが開き ひざの上の兵士がまず降り


反対側でもUPIのとなりの兵士が降りたようです


運転席 助手席の兵士も ほぼ同時に降りました



3秒くらいでしょうか 兵士の目が私から離れたのです


その時シートを見たら 


なんと! フィルムが落ちていたのです


とっさに私はフィルムを手に握り込みました



そしてカメラを持ち 開いている裏ぶたを閉めようと思いながら車から降りた・・・


と同時に 突然兵士からカメラを取り上げられました


ストラップを持って取り上げられたカメラの裏ぶたはパッカリ開いた状態


兵士はカメラを覗きこみ フィルムが無いことを知ります



「フィルムは?」 と手を出す兵士



えーとえーと フィルムはー・・・


フィルムを手に握り締めたまま 言葉に詰まる私


池の鯉状態で口だけパクパクしていたに違いありません





アフガンに来てカメラバッグフルセットを持って撮影をしていた時は


いつもダミーのフィルムを持ち歩いていたのです


何か問題があってフィルムをよこせと言われた時に渡すためのもの


それを使うのが今なのですが それが今無い (泣)





悪い頭をフル回転して 何とか言い逃れをしようと思うのですが


何も出てこない



その時 




横にいたUPIカメラマンが 


「現場で兵士に取られたんだ」


と言い出しました


私は急に話し出した彼にぎょっとしましたが


すぐにコメツキバッタのように頷き



「はいはい! そうでっせ! 爆弾 現場 フィルム 兵士 持って行った!」



あらん限りの知っている単語を並べ立て 兵士に訴えました


実際UPIは現場でフィルムを没収されたのだろう


彼の話は理にかなっていた


考えてみれば とっ捕まった時の兵士は現場に残ったままで


ここにきた兵士は ジープに乗せられる時からしか知らない別の人間だ




私はそれで押し通すことにしました


フィルムを握り締めたまま (泣笑)


身体検査されたらオシマイの 浅はかな行為だったけど


なぜかまだ諦めないでいたのです






うちのとらまる

再現してみました 私 手がでかいので結構隠れていたのですね






こりゃまたラッキーなことに すぐには身体検査はしませんでした


先頭は兵士 次にUPI その次が私で 後ろに兵士


一列で歩いて建物の中に入ってゆきます


とにかく手に持っているフィルムをなんとかしなければいけません


ジャンケンをさせられてもグーしか出せないのです


手の甲を上にすれば かろうじてチョキは出せるかもしれませんが不自然さでバレます


私は何を心配しているのか もう半泣き状態になってきました


建物の中に入り廊下を歩いています


ポケットに入れたってすぐにバレるし ぐるぐる考えた挙句・・・


歩きながらシャツをジーンズの中に入れなおす振りをして


ちょうどベルトバックルの裏側に入れることが出来ました


やった!


ようやく手が解放されたのです


でも服を脱がされたら一巻の終わりの幼稚な隠し場所


ひょっとするとずっと手に持ってたほうが


良かったんじゃないかと思ったりしながら・・・部屋に入りました


すぐに身体検査が始ります 


なんとラッキー この検査は拳銃など武器の所持をチェックする程度の検査でした


ズボンを脱がされずに済んだことに気を良くした私は少し落ち着いて来ました



小学校の教室くらいの広さの部屋にUPIカメラマンと一緒に椅子に座らせ


取調官2人 警備の兵士2人で尋問が始りました


私のアレな英語ではラチがあかないと感じた取調官は


主にアメリカ人であるUPIカメラマンに質問をしていきます


私は意味が分かる時は そうだそうだと相槌をうち


分からない時はきょとんとして子犬のような目で取調官を見ていました



とにかく身元をはっきりさせないとまずい・・・


ああ その身元をはっきりさせるパスポートはホテルに置いてある


これは忘れて来たわけではなく あえて持たないようにしていたのです


こういう事態になって もしパスポートを取り上げられたら


もうどこにも行けなくなります


ですからパスポートは保管しておいてコピーを持ち歩くようにしていたのですが


コピーを忘れて来た・・・・


しっかりしたジャーナリストなら社の発行したプレスカードを持っています


フリーのジャーナリストでも どこかの団体に加入しプレスカードを持っているのです


私のようなどこの馬の骨か分からない人間は怪しさが炸裂しているのです


ゲリラの一派でハザラ族という部族がいるのですが 


この人たちの顔つきはモンゴル系で日本人にも見えます


結局 私にはチープな作りの「日本アフガニスタン友好協会」(泣笑)の名刺しかありませんでした



尋問の中で 忘れてくれれば良いのにフィルムの話がまた出てきて


「どこへやった?」


「だから兵士に取られたんだって! 現場で」


「本当か? 確認取らせるぞ」


「い いいよ別に・・・」


「確認取るぞ?」


「オ オフコース」


いかんヒザが震えてきた


しかもガクガク


悟られないように必死で手で押さえつけた


もう くじけそうになった


フィルムをポロって出しちゃって 「あら? こんなところに入ってたわ!」


って渡してしまおうと思った


ギャグで許してくれるかな


でも


でも もう引っ込みがつかないー!




確認を取るというのはハッタリだったと思うのです


でもバレたら 良くて半年捕まっているフランス人と同じ


悪くて処刑? え? こんなことくらいでーー!?  そんな殺生な!


誰もそんなことは言っとらん


私の妄想です



ひとりで妄想を膨らまして 口をパクパク足はガクガク


まな板に乗せられてパクパクビチビチしている鯉そのものだ


そんな忙しくしている私にまたしても助け舟が入った



「とにかく私たちを釈放しないとジャーナリスト仲間が黙っちゃいないぞ」


UPIカメラマンが強気に出ました


あんたは偉い! そうだそうだ! 行けー がんばれー! 私は心の中で応援します


彼はさらに続けます


「身元を確認したいのならカブールホテルに私たちを連れて行け」


「宿泊名簿に名前はあるだろうし プレス仲間も私たちを知っている」



この申し出に取調官は なるほどと思ったようだ


「わかった 確認のためにホテルに人を出す」


「でもお前たちはここで待っていろ」


一瞬このままホテルに行けるかと思ったが甘かった


しかし 私たちがホテルにいたことは間違いないし


日本人の記者たちもいるはず(サンケイ 読売 朝日 NHKが来ていた)


きっと何とかなるだろう



30分くらい待つと 君たちは釈放だと言われた


これまで約1時間半がたっていた



「じゃ 帰るね さようなら」 と  さっさと席を立って


テーブルの上に置いてあったカメラを返してもらい


建物の外に出て ゲートの方に歩き出そうとしたら


ちょっと待て 車で送るという


え? 送ってくれるの?


と ここで喜んではいけない



車で山にでも連れて行かれて 処刑されてしまったりする可能性だってあるのだ


「いえいえ結構です」


「ノーサンキューでございます」


と 二人で固辞するのだが 許してくれない


とうとう車に乗せられてしまい 送ってもらうことになった



途中 道をあーだこーだ指図し なんとか山に行かせないように頑張った


結局 そんな心配は無用で アッサリと車はホテルの前に横付けしてくれた


私とUPIは運転手に礼も言わずにホテルの中に飛び込んだ


それこそダッシュで



ホテルのロビーに飛び込んだら 


行動を制限されていて情報を欲しがるメディアたちが一斉に私たち二人を取り囲む


「お前ら拘束されたんだって?」


「現場はひどかったのか?」


「犠牲者はいたのか?」



「6人は死んだと思う」


UPIカメラマンと顔を見合わせてそう答えた



スゴイと思った




ここで私が100人と言ったら世界中に100人死亡と情報が流れるのだろうか


現時点では私とUPIしか知らない情報を持っていて


名だたる世界中のメディアが私の言葉に注目している


そんな状況にいる自分にワクワクしていたのでした



それ以降は二人別々に取材されることに 


私の方は日本の新聞社などに経緯を話した


しかし新聞沙汰になるのが恥ずかしかったので


日本のメディアの人たちには 今回は勘弁してくださいと お願いした


まあ今回は無事だったし しょうがないねと快く受け入れてくれたのだけど・・・













うちのとらまる




しまった


通信社というものがあった




そういや取り囲まれた時にAP通信社の人間(アメリカ人だったと思う)が


「名前はー?」 とか聞いてきたので


「オータや!」


「オータ ヤススケ!」


って言葉だけで言ったんだっけ


で このAP通信社の記事を この場に来ていない毎日新聞が買ったというわけ


記事の中でフィルムを取り上げられたとあるのは


当然そう言わないとマズいことになるからですね




そうこうしているちにビザの期限が来て 私は一度日本に帰る事になりました


そして2週間後に またアフガニスタンを訪れることになります


そしてその訪問はアホみたいな結末で終わることになるのです






続く






うちのとらまる