ちょっと間が空いてしまいました




私がアフガンを強制退去になり 


インドの空港で荷物もどこかに行ってしまい


航空会社とすったもんだしながら


やっと日本に帰ってきて


成田空港から直接所属する編集プロダクションに顔を出した時です


たしか夕方の5時とか そんな時間だったと思います



私の直接の上司にあたる人が 帰ってきた私の顔を見るや否や



「夜 時間あるか?」


へ? いつのでっか?


「今晩やがな」



この上司は体は小さい方ですが 迫力は私の5倍くらいある人


しかも関西出身で関西弁です


私も一応関西人なので この上司との会話はすべて関西弁で行っていました



「撮影があるんや 六本木行ってくれるか」


今晩って わては今帰ってきたばかりなんですけど・・・


「他にカメラマンがおらんのや」





うちのとらまる



編プロには当時カメラマンが私を含めて3人いたのですが


他の二人は夜のお仕事(いろいろあったのです)があり 出払うらしい


社員カメラマンであった私は上司の命令に背くことなどできない



へいへい 分かりましたよ 行きますよ 行けばいいんでっしゃろ?


で 何を撮るんでっか?


「パンチラ」


はーーーあ?


「ディスコのお立ち台で踊り狂っている女性のパンチラ撮ってきて」



この頃 バブル時代の真っ只中


ディスコ全盛期でした


パンチラ撮影は そのバブリー六本木特集のカットのひとつで


どうしても外せないものらしい(笑)





うちのとらまる


この日から私の仕事は この特集のために六本木を徘徊する事になります


人物写真やパンチラ写真は掲載できないので勘弁して頂きたく存じます(笑)





「いやーん」


「やめてよー」



お立ち台で踊る女の子が私に向かって叫ぶ (音楽がうるさいので叫ばないと聞こえない)


んなこと言ったって もう見えてるやんかー!


今さら何を言うとるんじゃーーーー!


ちょちょちょっと! 顔は写さないから! お願い! 撮らせてっ!



ある子は撮らせてくれ ある子には断られ またある子にはハイヒールで蹴られそうになりながら


私はアフガンのこともすっかり忘れ (笑) パンチラ写真にのみ集中していたのでした


そう パンチラ写真の鬼と化していたのです げへへ



あんなにも堂々と 女性のスカートの中を撮影したのは


後にも先にもただ一度きりでしょうね


あ コッソリも撮っていませんからね!








うちのとらまる


六本木交差点








うちのとらまる


外苑東通り






うちのとらまる



うちのとらまる




うちのとらまる



うちのとらまる


これはこれで燃える 楽しいお仕事ではありました


お店の取材やお店に来る人間たち 夜の六本木の空撮など たくさんの撮影をしました



しかし今思い返してみるとパンチラのことしか思い出せないでいます


パンチラ写真を撮り終えたところで 私は妙な満足感を覚え


その後の写真はどうでも良くなっていたのです (ちょっとだけウソ)









ある日 初めての紛争地域取材を終えて思ったこと


というか 打ちのめされたことがありました




4月25日の記事 で私はトラック爆弾テロの現場写真を撮りました


報道写真という写真の評価は何種類かあると思いますが


大きく分けて2つになると思っています


○誰も撮っていない貴重な写真 

(とにかく誰も撮っていないものだから写りがどうあれ価値があります)


○写真の中にその出来事が直接的でも間接的でも表現されていて芸術として完成している写真

(著名な報道カメラマンの方々が撮っておられますね)


まあ一番いいのは上の二つの要素が入っている写真なのでしょう



私はとりあえず他のカメラマンが持っていない写真を撮影して持っていたわけです


しかし その写真は一枚も売れませんでしたし掲載してもらう雑誌もありませんでした


なぜかというと 


つまらない写真だったから



もうがっかりです


もちろん いい写真とは自分でも思っていませんでしたよ


それでも頑張って撮ったのに 頑張ってフィルムを持って帰ってきたのに


なんてブツブツ思っていたのです



ある日 アフガンに行っている期間のストックしておいて貰った新聞を読み返していて


新聞に掲載された写真を見て そのボヤキが吹っ飛んだのです


ああコピーを残しておけば良かった


お見せできないのが残念です





トラック爆弾テロ事件があった翌日に記者会見がありました



うちのとらまる



死傷者の数 犯行グループの発表やトラックはパキスタンナンバーだったなど


事件の詳細が発表され その後 記者たちに現場を開放したわけです


拘束された私とUPIの人間は 仲間に入れてもらえずホテルでお留守番でした


現場は1日以上経っていて もう目新しいものは残っていないはず


なんて思っていたのです



新聞に掲載されていたのは 多分その時に撮影された写真でした


現場のバスターミナルの向い側にビルが建っていて


ビルの窓ガラスは粉々に割れていました


その割れた窓から とても心配そうに覗く女性看護士と医師の写真



うちのとらまる

写真の右側に建っているビルの窓です



看護士と医師の表情が 本当に不安そうだったのを覚えています


私は打ちのめされました


そして報道写真というのは これでなければいけない と思ったのです


いくら現場に早く着いたってダメなんです


しっかり読者に伝わる写真を撮らないとダメなんです!




そして年月は経ちますが


未だに納得の行く写真は撮れないでいます


何とか死ぬまでに やった! という写真が撮りたいものですねぇ・・・






うちのとらまる


私が打ちのめされた写真の撮影者


この人も確かUPIの人だったと思います


中国系アメリカ人でした


私が撮影しているところに 前に出来てたので写りこんでしまいました





ところでインドでなくなった荷物は 見事に返ってまいりました


1ヵ月後に・・・


鍵は壊され中身は引っ掻き回されていました


あまり大事なものは入れていませんでしたが 


バッテリー関係 未撮のフィルムなどは 無くなっていました





アフガニスタン編 終了です


次は北朝鮮編の予定です









うちのとらまる

平和になったらまた行きたいところです