先週の 「希望の牧場/やまゆりファーム 見学ツアー」 時に目撃した
瀕死の牛
ほどなくして 牛は死にました
当たり前のように
毎日動物たちは死んでいきます
ボランティアさんたちが いくら頑張っても
手ですくった水のように 牛や犬猫の命はこぼれていくのです
産まれたのに育たなかった子牛
常時であれば手厚い処置をしてもらい
元気になれたでしょう
母親と一緒に暮らしミルクをいっぱい飲んで
大きくなったでしょう
いずれ訪れる出荷までは・・・
東京に戻る東北道で見かけたトラック
気温2度の夜
牛たちが運ばれていきます
どういうことになるのか誰が見てもわかると思います
牛肉をおいしく食べてきた私は何も言えません
革製品をたくさん持っている私に何が言えましょう
彼らの命が無ければ私は生きて来れなかったのです
モヤモヤするこの気持ち
この気持ちを少しでも軽くするために
私は福島に行っているのだと思います
すくなくとも
この死は
さほど悪いものではないのかもしれないと
そう思います
死ぬ間際まで看護されて
苦しまないように鎮静剤まで点滴してもらえて
きっと苦しまずに死んでいけたでしょう
死に方の問題もありますが
死んだ子たちは楽になれたのです
この2年 死体を前にするたびに
「楽になれてよかったね」
そう心の中でつぶやいてきました
悲しいのは
その子がどういう思いで死ぬ間際まで生きてきたのか
どんな辛い目にあってきたのか
そのことに思いをはせて悲しくなります
私が本当に可哀想と思うのは生きている子たち
生きて苦しんでいる子たちです
その子たちのために
これからも 力になりたいと思うのです
この牛は安息を手に入れました
この牛は幸せでした
出荷されることも無く 一生を終えましたよ
コメント
コメント一覧 (18)
気になってました。
蚊帳がなくなったなって思ってたので、もしかして・・・と思ってました。
この子は幸せな最期だったと思います。
餓えや渇きで苦しみながら死んでいくのではなく、藁の上で静かに自然に終われたと思います。
出荷されることなくね・・・
私も牛肉はおいしくいただいてます。
牛さんが差し出してくれた命、ありがたく頂戴し自分の命にしております。
私には「食べない」という選択はできません・・・
牛さんに申し訳なくて・・・
牛さんも苦しんでますが、毎日お世話をしてくださってる方々も日々思い・悩み・苦しんでおられると思います。
牛さんが安息を得られるお手伝いをしていきたいと思います。
孫が前回お気に入りになったジャージー牛がどこにいるかわからず牧場主さん聞くと『あ~モカちゃんね…今はいないね…(小さくボソッと)お乳が出なくなったからお肉になった…』と。
孫には『ここにいるみんな(牛)のお乳が牛乳だよ。それからお肉になる子もいるし…だからご飯の時の「いただきます」は牛さんにありがとうの「いただきます」なんだよ。牛さん達のおかげで大きくなれるんだよ』と教えました。
そう教えつつ「いただきます」って悲しい言葉かもしれないと思いました。
牛だけじゃなく、魚も野菜もみんな生きてます。
だからこそ『ありがたい・ありがとう』と感謝しなければいけないのだとおもいます。
命が自然に終われるのが一番いいのかもしれませんが…
命を無駄にすることなく感謝することを大切にしたいです。
肉・魚類を自分からは食べなくなりました。
調理されたものを目の前に出されたら
少し食べ、持って帰り炊き直して
犬にあげています。
個人事業の方が養う牛たちのように
生まれてから死ぬまでに交流を持つ牛は
まだわかります。
それもなく機会で管理され
機会で乳を搾りとられ
流れ作業の中死んでいく家畜がいます。
その流通に反対なので
ファーストフードなど一切とっていません。
福島の牛たちはまだ幸せなのかもしれません。
自らは食べないということです。
しかし、出されてしまったものに関しては、動物たちに失礼のないように常に感謝して戴くようにしております。
道路でトラックに乗せられた動物たちとすれ違うことほど、私にとって辛いものはありません…。
福島のこの牛さんたちは、食肉センターに行くのを免れただけでも幸せだったのかもしれませんよね。
誰が納得するの?誰が望んだの?これで良かったの? こたえてはくれない質問の繰り返し。鎮静は本当に楽なの?
何もしない自分に腹を立てる。
せめて活動してる人々に感謝と協力をしようと思う。
何も出来ない自分が情けないです。
行動を起こした方々にはありがとうございますと言うだけです。それしかできない・・。
お肉は食べなくなりました。
コメントされた方と一緒で、家畜が運ばれてると
つらくて目を閉じます。
家畜たちのことを考えると、なにもできない
自分がほんとに悲しいです。
福島に牛を肉ではなく、命と扱ってる人達がいて、私にも、牛を助ける手助けができるのでは
と思いました。
牛を出荷できる気持ちが、全くわかりません。
今まで、ご飯をもらって、なついて、信じていた人から、裏切られる気持ちでは、ないでしょうか。
看取ってもらえて、よかったです。
私も肉や魚を食べないと言う選択は出来ませんが
なるべく肉や魚を食べない日をつくって食べ物に感謝して食べるようにしてます。
亡くなった牛さんは幸せだったと思います。
トラックで運ばれる牛さん達も人間に感謝してもらえてたらいいな
牧場で働いてるボランティアさんには感謝です。
何も出来ない私は情けないです。
ダイエットなんて、本当は、命のことを考えたら、自然と食べる量を加減するようになるかもしれません。
本当にお疲れ様でした。
いろんな矛盾を抱えながらも、動物たちのために行動できる、
運営されているスタッフ様や、もーす様は、本当にすごいと思います。
私は、募金だけして何かしたような気になっていて、
自分の今の生活を守るので精一杯で、
自分と目の前のことしか守れないヘタレです。
なんとかならないのか、でも私に何ができるのか・・・答えがでません。
全ての生きるものが、苦痛から開放される権利を持って良いと思っています。
自由が丘に犬猫売買ショップがオープンしますね。不幸なコが増えない事を祈るばかりです。
”がんばって!生きて”と人間から声をかけてもらって死んでいく牛は、やっぱり、私は幸せだったと思います。
命は長いから幸せとか、
短いから不幸せではない、と私は思います。
私は5、6年(もしかしたら、もっと前になるのかな)前からお肉を食べません。身の回りの品も、バッグや財布、パンプスなど、革製品を買いません。
それでも、生活の質は豊かです。
心も穏やかです。
そのことを、お肉を食べたり、動物の死体から作られる製品を買う人たちの、1人でも多くの人にわかってもらいたい。
いかなる動物たちも、人間の都合で殺されない”サンクチュアリ”という暮らし方が当たり前になることを、願ってやみません。
死んでゆく動物に感謝して食べれば良いという人たちがいますが、それはその人たちたちの中にある罪悪感・エゴを落ち着かせる為だけのものだと思います。最近の研究結果で、全ての動物は知能の差はあるけれど、人間と同じ感情を持っているという結果が発表されました。(イギリスの大学だったかな)
今福島にいる牛たちにしても
どちらも
そこには必ず
人がいるんですね
自分はどちらの人間なんだろうと…
知るきっかけを与えてくれたから
遅くはなったけれど
自分はフクシマへ行く。
何度でも、何度でも。
無駄なことなんかひとつもない!
みんな心でつながっている。
どうしようか
何をしたらいいか
迷ってる人へ。
自分もそうでした。
でも勇気を出して一歩踏み出したら
どうにかなってしまうものです。
先駆者たちは教えてくれます。
どんな些細な活動でもいいです。
実際に行動に移しましょう。
気持ちがあれば何でもできる!
いつの間にか、某避難所の雑務のお手伝いに通い始めました。
銀くん、マルちゃんのお散歩
けっこう楽しいですよ(*^_^*)
捕獲器もきれいに洗っておきました(笑)
ありがとうなんて、感謝されなくていいから
「殺さないで」そう牛も豚も鳥もみんな思って
いるでしょう。自分でもそう思います。
肉をとらなくても、健康に生きられたりします。
ありあまる贅沢。沢山の牛を生ませて、
大量生産してどんどん安く・・。
ペットショップ コ◎◎みたい。
皆が食べなくなれば、殺される動物も減る。
これも同じですね。
殺される痛さは、人間も動物も同じです。
肉や牛乳を買わない、食べないことは簡単ですが、ケーキやアイスクリーム食べてます。革製品もお世話になってます。
なるべくフェイクを購入するようにしていますが完全には無理です。
だからせめても、愛情たっぷりに育てて人道的に愛を持って命を頂く、世界中がそんなふうになってほしい。そのためには私は何をしたらいいのだろう。
彼らをまるで物のように扱い虐待し解体する海外の映像を見たことがあります。
キリスト教では彼らは人間に食べられる為に生まれてきているという考えなのですよね。
自分の罪深さに嘆いてばかりでしたが震災から、週1日ですが被災動物の御世話に通っています。私も出来ることをずーっと続けていきます。
最後まで優しくお世話してもらった牛さん、幸せだったとおもいます。幸せのなか安らぎの世界へ旅立てたこと、私にとっても大きな救いになりました。
ありがとうございます。心から感謝いたします。