昨年11月に京都の知恩院さんで
写真展&報告会をさせていただきましたが
写真展最終日に門主さまである伊藤氏がおいでになりました
その時 仰っていた内容を
新年 第一号の 「中外日報」 にて
寄稿されておられていたのを送っていただきました
伊藤氏が仰る輪廻転生思考を考えると
数々の小さい生き物の殺生 さらに肉食などで殺生をしてきた私は
それを思うと もう生きているのが嫌になるのです
でも
そういう矛盾を受け入れて 悩み考えることで
少しでも人間以外の生き物に想いを寄せて
生きることが大事なのではないかと思うようになってきています
震災以前のように 何も考えずに思考停止して
「殺す」 「食う」 ことを当たり前としていた自分には還りたくありません
生き物であるからには他の生き物を殺生して生きる
これは否定できませんが
私はそれが 「当たり前」 と思わないように生きて行きたいと思います
ぼくも 皆さんと同じように生きてるんだよ
コメント
コメント一覧 (4)
テレビでも仔牛のなんとか…とか当たり前のように出てきます
小さい時にお母さんと離されて大人になる前に殺されちゃうんだなあと悲しくなります
何のために生まれてきたのかな…
でも菜食主義にもなれない私…
だからこそ今、「いただきます」という言葉の重みを大切に感謝していただくのがせめてもの私のできることかなと思います
そして、ひとたび震災・原発事故が起これば、打ち捨てられて...ああ、悲しい。無力な私ですが、以前とは違う意識をもって生きて行こうと思います。
家畜動物のことも考えると切なくなりますし、日々殺処分されている犬猫のことを考えないことはなく、私も生きているのが辛かったりします。家畜福祉が日本にももっと浸透し、殺処分0になることを願います。
>生き物であるからには他の生き物を殺生して生きることは否定できませんが、私はそれが「当たり前」と思わないように生きて行きたいと思います。
共感しました。私も当たり前と思わず、「いただきます」というのは命をいただきますということなので、この気持ちを大切にしたいです。
それを忘れてはいけないと思うし、それをきちんと次の世代にも伝えていかなければいけないとも思います。
飽食すぎるのは恐いことです。頂いた命(食べもの)は無駄にしてはいけませんね。
だからこそ、人間が作り出した原発で頂く事ができなくなった命たちは、大切にしなければいけないと思います。