クーが逝きました
                                             
                                              
                                              
捕獲できたのが31日の 午前1時30分

一晩うちに置いて

朝一番で

いつもお世話になっている病院へ向かいました

触診 血液検査などをしていただき

これは厳しいと先生は判断

入院させて

点滴や注射などの処置をしていただくことにして

1月4日にお迎えに行くことになったのです


入院させたことで私は安堵して

本日のお正月が迎えられました



午後 元旦のびわこねこたちに会いに行こうと

バイクを出して準備していたら

病院から電話があって

もうだめかもしれませんということでした


私が以前のたまおの時もそうでしたが

病院で亡くなってしまうのは避けたい

亡くなるなら

うちで見守ってあげながら逝かせたいと

そう伝えていたので

先生が配慮してくださり

連絡をくださったのでした




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クーは殆ど動けず弱々しく鳴くだけでした

とにかく苦しく無いようにだけはしてやりたい

といって安楽死はしたくない

詳しくは分かりませんが

先生はなるべく辛くならないような処置を

施してくださっています


クー 帰ろう

でも びわ湖じゃないよ

もう寒いのは御免だろ?

お前の知らないうちに帰るんだ


先生は早ければ今晩と言っていました

それなら私はずっと一緒に居て

撫でてやろうと決めました

決してひとりでは逝かせはしない





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家に帰ってきた当初

クーは痙攣を何度もしていました

これは相当辛いのかもしれないと思いましたが

私にできるのは声掛けと撫でてやることだけです


クー

お前は凄いなあ

よく頑張ったなあ

もう大丈夫だからな

安心しろな



痙攣も30分程で治まり

たまに息が詰まりますが

小康状態になりました


家に帰ってきたのが15時前

15時30分から小康状態

しばらくは落ち着いてくれたので

いろいろなことが頭の中をめぐります

私は呑気にクーの復活を夢見ていましたが

先生は最初の触診で

クーがもう長くないことを知っていました

下あごにはガンができていて

あの傷もガンから来ているものだったのです

クーの口の中はズタズタで腐っていました

これでは食事はもうとれません

これだけでも復活は絶望的だというのに

腎臓も最悪の数値が出ていて

一晩入院して処置をしても

良くなるどころか悪くなっていたのです





17時ごろ

家に帰ってきて2時間が経とうとしていました

クーは歩いていました

かつて自分がいた びわ湖畔を歩いていたのでしょう


この30分後 17時28分

クーは大きく伸びをしてから

動かなくなったのです


静かな静かな最期でしたよ






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クー どこへ行くんだい?


27日 夕方

クーは 妹のパールやボスがいる

いつもの場所から移動を始めました

行き先は人が来ないところ

それが排水溝の中でした

クーはこの時すでに

自分に最期の時が近づいていることが

分っていたのでしょうね

私もこの動きを見て

保護の決心がついたのでした




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クー

お前は頑張ったね

確認できているだけで8年以上

このびわ湖畔で生きていたんだね



お疲れさま

もう頑張らなくていい

ゆっくりすればいいよ

いつかまた会おうね

バイバイ








外猫たちを見て

お前たちは食べ物に困らないから幸せだね

自由だから幸せだね

なんて言わないでください

もちろん一瞬一瞬の幸せな時はあるでしょう

でもそれだけですよ

誰が病気になった子を面倒見てくれるのですか

かれらを心配して餌を与えてる

ボランティアさんでも

全部の子たちを

ケアできるわけないじゃないですか

結局 クーのようにボロボロになって

消えていってしまうのですよ

猫に癒してもらいたいなら

猫にも幸せを与えてやってください

今の猫ブームは

猫から搾取することばかりじゃないですか

外で生きている猫たちのために

行動を起こしてくださる方が

一人でも増えますよう願いを込めて

クーの報告を終わります